So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

2012.0516 O.A 市立釧路総合病院 整形外科 佐々木拓郎氏

sasakitakuro.jpg
<part1>
先生に見えないとよく言われるそうですが、私にはアーティストか韓流スターみたいに鍛えた身体がとってもインパクト大でした。
高校2年の時、理系の方がつぶしがきくと言うことで・・・この道に近づきました。そしてドクターになった2番目の理由は高校の頃、まわりに医者の子息が多く医者という職業が急に身近になったからとか。整形外科は・・・学生時代にスノーボードをやっていて、ゲレンデで怪我をしている女性に出会ったら・・と思い選んだそうですが、実際15年整形外科にいらっしゃるそうですが残念ながらそういったことは今までもなかったそうです。ドクターになった1番の理由が実はここに隠されていたのです。
本当?かどうかは放送をお聞きになったあなたが判断していただければと思います・・・
佐々木氏の専門は下肢。ひざが好き。足のシルエットが好きなのだそうです。
やはり患者さんは高齢の女性が多いそうです。変形の関節症が多いということなので、防ぐ方法はないのでしょうか?伺いました。なかなか難しいそうです。これは、加齢に伴うことなので、それを遅らせたりすることはできるそうですが、完全に解決するのは今のところは難しいのが現実なんだそう。
<part2>
なぜ身体を鍛えているのでしょう?私にはストイックに身体をつくりあげている、そんなイメージがあったのですが。。。お酒を飲むため・・美味しいものを食べるため・・・とか。そのために週2回30分ジムでトレーニングマシーンを黙々となさっているのです。
さらに自転車もお好きなのです。更別で開催されるマチャリレースにも本気チームで出場した経験をお持ちです。そもそもMTBから入ってロードレース。やはり魅力は風なんですね。
さらにさらに自動車も好き。小さい頃のミニカー集めに始まり、カーグラフィックも良く読んだり、TVを見ていたそう。そして、いつかこういう車に乗りたいと思っていた車に乗りました。それがランチャー、マニュアル車。シフトチェンジがお好きで、信号待ちでなんと1速までおとすこともあるそうです。ただラテンの車は壊れやすい・・(車関係の方ごめんなさい)エアー抜きを3日に1回やっていたそうで、冬になんでこんなことやっているのかと悩み、次は壊れないラテンに変更。そのプジョーも砂利道でカーオーディオの枠がはずれ、右手でハンドル左手でそこを押さえて運転。やっぱりそれも手放すことになり・・・現在はランドローバーディフェンダーに落ち着かれたそう。
「医者は人を救うとかではないと思っているんです。もともと治ろうとする力を引き出したり、手助けをするものが医療だと思うんですね。決して自分が治す、救うとは思っていない。そういう気持ちを忘れずにやっていきたい。」とポリシーを語っていただいた佐々木氏は自分のスタイルをきっちり持っていらっしゃる方とお見受けしました。
nice!(0) 

2012.0509 O.A 市立釧路総合病院 研修医 汲田翔氏

kumitasho.jpg
<part1>
26歳、社会人1年生の研修医の登場です。松本出身で高校まで松本で暮らし、北大医学部へ進まれました。さて、ドクターへの道はなぜ選ばれたのでしょう?
高校時代、自分と同じ高校を卒業したドクターの講演を聞く機会があり、医者という職業を考えるきっかけになったそう。その方はチェルノブイリの原発に行き、子供の甲状腺がんに携わった人。実際に現場に行かれたこと自体すごいことだと思うのですが、なぜそこまでして救おうとしたのか?深く考えさせられたそうです。しかし、ただ単に目の前の人の命を救いたいという気持ちがあったことを知り、自分も人を救う技能を身につけたいと思うようになるのです。
現在は色々な勉強をしている最中。ただこれから先、麻酔科、救急医療をやりたいそうです。
目の前の人の命を救う、技能を身につけたいのです。しかし、実際に現場にでると「こわい」という気持ちを強く感じるそうです。知識も技術もまだまだ、診断も治療も自分の知らないことがありすぎることを実感する毎日。また、現在は呼吸器内科の病棟を診ているのですが、患者さんとの会話ひとつにも技術が必要だと感じる毎日。現時点では、「自分は一人の医者として、どんな患者さんに対しても最善の治療をしていきたい。プロとして正確なデータや治療の選択肢を与えてあげたい。そのための勉強は怠りたくない。そして、患者さんが納得するまでつきあうことのできるドクターになりたい。」と抱負を語ってくださいました。
<part2>
小学校から大学までずっとサッカーをなさっていた汲田氏、ポジションは長友と同じサイドバック。
小さくて細くてスポーツにはあまり関心がなかった彼が、自分の失敗を仲間がかばってくれたり、仲間との一体感に魅了されサッカーを続けてきました。自分一人で考えて結論が出なかったことがまわりの人の考え方を聞いてふと気づくことがあったりするのが魅力とか。
もうひとつの趣味にカメラ。被写体は人間。そして、患者さんみんなと友達になりたいと語る彼は
結局は人間が好きなのかもしれません。
5月5日に入籍なさった汲田氏。親の偉大さを感じる今日この頃なのだそうです。
親が子供を育てる難しさ、子供が社会に出た時に恥ずかしくないようにしつけることなどなど。
今お父様におっしゃりたい一言とは「ここまで育ててもらってありがとうございます。」
言葉にまとめることが苦手とおっしゃっていましたが、おそらく素直で、人が大好きで、そのつながった人たちと絆を作ることを心から楽しんでいらっしゃるのだと思います。患者さんと、友達と、仲間とこれからさらに大きな絆をつくって、人間としてさらに大きく成長していただきたいと思いました。
nice!(0) 

2012.0502 O.A 市立釧路総合病院 消化器内科 高橋文彦氏

takahashifumihiko.jpg
<part1>
釧路生まれ釧路育ちの高橋氏は高校時代、心理学に興味を持っていました。中学の頃には教師になりたいと思われていたそうですが、根底に流れているのは「人間」というものに興味を持っていたから。
人間を相手にする仕事という意味では共通するのです。教師も医師も。
高校時代、日本史の先生との雑談中の「医者は薬を使って患者を治すことができる」という言葉でこの道を目指すことになったのです。確かに科学、社会学、人文科学など非常に大きな領域をカバーしていて、その奥の深さや与えられる裁量の大きさにやりがいのある仕事と考えたのです。
現在は消化器内科の仕事を全般になさっていますが、専門は血液内科。その理由も釧路と縁があるのです。
なぜなら医師になって2年目、釧路に転勤となりました。そこで出会った非常に珍しい症例とその時の恩師との出会いが血液を専門にしたいと思ったきっかけ、高橋氏の今の原点となったのです。
実は、その時の患者さんを現在また診ていらっしゃるそうで、この仕事をやっていて良かったと思う瞬間でもあるそうです。
<part2>
自己分析の結果は自分勝手で大雑把。とはおっしゃいますが、それは違うと思います。メールでの事前の打ち合わせに履歴を送ってくださったり、収録時の時に趣味の万年筆をお持ちくださったり、スケジュールのことを考えてくださったり、とても気を使っていただいたのですから。
その高橋氏の趣味は広島カープの観戦と文房具。特に万年筆です。万年筆については熱く語っていただきました。「試し書きをすると欲しくなっちゃうんです」東京に行かれる時には銀座の「ITO-YA」が
mustなのだとか・・・
さて、現在の高橋氏のスタンスは専門を活かし地域医療へ貢献すること。全国レベルで治療を提供することとか。万人が同様のクオリティの医療サービスを受けられるべきと考えていらっしゃるのです。
ある意味医者の仕事はサービス業とおっしゃる高橋氏。患者さんのニーズにしっかり応えること。
患者さんの満足を得ることができるうよう、どんな形でも最善をつくすことがご自分の任務と。
そのためには日々の勉強あるのみときっぱりとおっしゃっておりました。
患者さんから学ぶことがとても多く、患者さんと向き合って勉強させていただく、そして、患者さんと一緒に治療していくことが高橋氏のポリシー。常に患者さんに感謝の気持ちをもって接していらっしゃるのです。
nice!(0) 

2012.0425 O.A 釧路赤十字病院 整形外科 武田真太郎氏

takedashintaro.jpg
<part1>
釧路出身。高校卒業後、かれこれ20年ぶりに故郷に戻られました。本来は物理が大好きで科学者になりたかったそうですが、ご両親や親戚の言うことを聞いてドクターへ。今ではこの仕事が大好きでやりがいのある仕事と感じられているそうです。新しいことを年を重ねる毎に覚えていくこともあり、毎年毎年が勉強とおっしゃっておりました。
現在は整形外科全般を診られていますが、専門は下肢と関節リウマチ。この関節リウマチは原因不明の病気で関節が腫れてくるのだそうです。放置すると2年以内に関節がこわれてくるのだとか。ある程度遺伝子が関係することはわかってきたそうですが、患者さんがとても多い病気なのだそうです。
下肢に関しては、やはり腰と膝で悩んでいる方が多いそう。特に変形性膝関節症といって軟骨が痛んで骨が変形する人が多いのです。武田氏は外来でリハビリやヒアルロン酸などの治療を行い、3ヶ月様子を見るようにしています。なぜなら手術をしなくても良くなる人が多いからなのだそうです。
この病気は加齢に伴うもので、すり減ってしまった軟骨はもとに戻るのは難しいのです。ただ太腿の筋肉を鍛えることで楽になる可能性があるのも事実なのだとか。女性は80歳をこえると80%がこの病気にかかるそう。全国に患者さんが1000万人以上いるとも。
話題は予防法のことに。骨粗鬆症。この病気は50歳をこえると女性は骨密度が下がり、その予防に現在取り組んでいるそう。例えば、大腿骨頸部骨折。高齢になるとしりもちをつき、足の付け根の骨が折れることがあるそうです。到底歩くのが困難になります。そうなると寝たきりになる。肺炎、床づれ、認知症が進行したりする。この骨折は手術しない方がリスクが高いと言われているそうで、できるだけなるべく早く手術して、なるべく早くリハビリするのが基本なのだそうです。骨粗鬆症の検査は簡単。ただ寝てるだけの検査です。さらに血液検査をするとそこに値が出るので、薬が効いているかどうかが簡単にわかるとか。武田氏からの伝言「特に65歳以上の女性は年に1度は検査してね。骨密度をはかってね」
<part2>
185センチの長身の武田氏は昔バレーボールをなさっていたそうです。
お父様の影響で始めたのです。お父様は高校の体育教師をなさっていて、バレーボールの審判員もなさり、ワールドカップで主審の笛を吹いていたこともあるそうです。そんなお父様に連れられて、2〜3歳の頃から体育館でボールで遊んでいたのです。スポーツ万能、バレンタインには段ボール一箱のチョコを抱え、しかもスピードスケートの岡崎朋美選手(当時高校生)もお父様のファンだったとか・・・
武田氏の考え・・・無理しないで自然体。患者さんとも信頼関係を大事にしているそうで、自分のスタイルは変える気はないときっぱりとおっしゃっておりました。
今後は予防医学の時代。未然に病気を防ぐ時代。これからはそこに力を入れていきたいとも。
「プロである以上は私は言い訳はしない。人間なのでミスを犯すこともある。部下がそうすることも。でも包み隠さず患者さんや家族の方に正直にお話しするようにしています。何時何があっても医者を辞める、切腹する覚悟でいます。」正直でまっすぐで飾り気のないハートがストレートに伝わってきました。
nice!(0) 

2012.0418 O.A 釧路優心病院 精神科 田嶋崇宏氏

tajimatakahiro.jpg
<part1>
もともと小さい頃から身体が弱く近所の病院に通っていたこともあり、医者というものに親近感があり、高校でも理系に進み医学部へ進もうと思っていたそう・・・ところが、色覚に異常があることがわかり志望大学に行けないと判明。どうしようか迷い、文学部に進まれました。仏文科を専攻され、ランボーやアポリネールの本を読み、友達と文学談義をかわし、当時は文学青年を気取っていたそうです。
就職が迫ったある日、新聞の大見出しに「医学部の色覚異常者に対する入学制限撤廃!」という文字が。そこからまた一念発起し、医学部への道を目指すことになったのです。
はじめは外科に進みたかったそうですが、統合失調症に興味をもつようになっていきます。
精神科と文学部との共通点は、結局人間をしりたいということ。仏文科でもいかに人間を知るかがテーマだったそうです。精神科も正常か異常かという枠組みが実は非常にもろいもの。時代や文化が変われば価値観がかわっていくのです。例えば、サル山で猿をみていると思っていたら実は猿から人間が見られていた。そういう発想です。「あまのじゃくなのかな。普通じゃないといわれるものが好きなのかも」。
ことの本質をみないで外枠だけきめてそれでいいの?
ことの本質はもっと深く謎めいているものなのでは?・・・先生から投げかけられた言葉、然りです。
<part2>
患者さんとの思い出を語っていただきました。以前、田嶋氏が大学病院にいた時、すごく重い統合失調症の女性の患者さんが幻聴や幻覚で苦しまれていたそうです。その患者さんと転勤先で偶然再会。
赤ちゃんをだっこしていたそうです。まずその事実に驚き、「ミルクの時間だよ」とか「おむつ変えて」という幻聴を見方につけて子育てしていたことにびっくり。さらに感動なさったそうです。
精神の病は医者だから病気を治すということではなく、マラソンの伴走者のように常に寄り添い、声をかけ続けていくものだと思うとおっしゃっておりました。
ドクターとしてのポリシーは、医者だから、患者だからということではなく、ひとりの人間として対等であるということ。例えば、退院していく患者さんに「これから頑張れよ」と言ったら「おまえもな」と言われる精神科医でいたいということなのです。
どんなに重い症状の人でも周波数が一致する瞬間があり、気持ちが通じる時があるそうでして、その瞬間がこの仕事をやっていたよかったと思われるとか。そんな田嶋氏の理想のドクター像は、一緒に伴走しながら一緒に年をとって成長していけるドクター。
人が大好きでワインが大好きで・・・優しいドクターなのだと感じました。
nice!(1) 

2012.0411 O.A 釧路孝仁会記念病院 循環器内科 齋藤礼衣氏

saitonorie.jpg
<part1>
ドクターになったのは、小さい頃あまりにもお父様が家に帰ってこなかったからなんです。同じ職業についたらお父様がもっと早く家に帰ってきてくれるかもと思ったことがきっかけとか。
お父様が大好きなんですね。「あの頃はいい子だったんです」なんておっしゃっていましたが。
とにかく明るく元気な先生です。ご本人いわく「普段はおとなしく口数も少ない・・予定で仕事しているんですよ」患者さんともよくお話しをなさっているそうですが、楽しい患者さんが多くて、患者さんに元気をもらうことが多いそうです。
循環器を目指したのはガンをみたくなかったからだそうです。結局どの科に入ってもガンは切り離せないものと思ったのは実際に働いてみてから。
お話しのなかでたくさん出てきたことは、非常に人に恵まれているという言葉。「親のおかげなのか友達つながりの縁なのかわかりませんが、人に恵まれているんです。それは感謝しています。」
理想とするのはお父様。親子なのでケンカもするのはもちろんですが、道東の医療圏で困っている地域に少しでも良い医療を提供できればと・・頑張っている姿には身体はひとつなのによくここまでやるな〜と思われるそうです。もう少しのんびり仕事ができれば・・と思うそうですが、でもジッとしていられないんですね。そこは親子とも似ているみたいです。お父様が大好きな気持ちが言葉のひとつひとつから伝わってきます。
<part2>
最近、おっちょこちょいと3歳のお嬢さんに言われるそうで、「どこかぬけてるみたいです。でも自覚していないんです。」高校時代のカラオケエピソードです。高校生の頃カラオケボックスで自分が歌うと隣の部屋から壁をたたかれたり、窓からにらむようにのぞかれたそうで、自分では上手に歌えているつもりだったそうですが、違ったみたいです。
仕事に育児に毎日忙しい日々を送られているのですが、ストレスはたまらないのでしょうか?
「あまりたまらないと思います、すぐ忘れるタイプなのでその日のうちに忘れてしまいます」
元気の素はよく食べ、よく飲み、よく寝ることとか。
ドクターとしてのポリシーは自分のできる範囲でなるべく自分のできることをやる。一人の患者さんのすべてをなるべく診てあげることができたら・・とおっしゃっていました。
そして、もう少し女性が働きやすい環境をつくりたいと思っていらっしゃるとか。
具体的にはまだ何も・・・と前置きはあってのことですが、子育てしながらとか、社会復帰がなかなかできないということがなく、女性が普通に仕事ができるよう、女性にとって働きやすい世の中になればと・・心強いお話しを伺いました。
nice!(0) 

2012.0404 O.A 釧路孝仁会記念病院 消化器内科 田中英司氏

tanakaeiji.jpg
<part1>
サラリーマン家庭に育った田中氏。小さい頃北見や稚内で過ごし、近くのお医者さんが地域住民に尊敬されていてみんなのために働く仕事がよいと思ったことが医師を目指す最初のきっかけになったそうです。
現在は消化器内科ですが、学生時代は精神科へ進もうと思っていたそうです。映画や読書が大好きで、医学の中でもより文系的なものが精神科だと思っていたから。精神科の実習では、釧路優心病院に1週間泊まり込み、とても楽しい時間を過ごされたそうです。でも、勉強していく中で現在の消化器内科の道を選び、一生懸命頑張ってここまでやってきた感があるので過去には戻りたくないとおっしゃっていました。
消化器内科は大きく分けると、消化管関係と肝臓胆嚢膵臓。田中氏はどちらかと言うと消化管が専門。年間に上部胃カメラを1000件、下部大腸カメラを400件こなしているそうですが、もちろん一般の消化器を含む内科全般を診られています。
ドクターになってもう少しで12年目に入るそうですが、今は時間の流れが慌ただしく過ぎていく毎日で、アッという間に年をとったと感じることが多いそう。
理想とするドクター像は、まず患者さんにとって信頼できるか医師であること。選択肢をきっちりわかりやすく説明できること。そのために日頃から知識技術を高める努力をなさっているのです。
<part2>
温厚に見られるそうですが(実際にそう見えます)でもスポーツをやる時は熱くなるんです。
スポーツ全般、やるのも見るのも好きということで、一番長くやっているのがテニス。他にサッカー、野球、バスケット、バトミントンも。とにかく負けず嫌い。奥様にも「おかしいくらい負けず嫌い」と言われるとか。「スポーツは一生懸命やっても負けてしまうことも多いのですが、全力でやったり助け合ったりすることがスポーツの良さ、醍醐味なんです。実際やってみるとプロのすごさが理解できるんです。だから様々スポーツを体験してみてほしい。」とは田中氏。この時も熱く語られていました。
他の趣味は映画鑑賞。映画館で1年に300本。他にビデオを入れて1年で1000本位観たこともあるそう。札幌で上映されていたアニメ、ポルノ以外は制覇しようと頑張ったのです。映画の魅力は、色々な人生を経験できる気分になること。そして様々な解釈ができること。
奥様は齋藤孝次氏のお嬢様である礼衣氏。奥様の魅力についてお聞きしました。
まずはドクターとしてすごいなと思うところ・・そして、女性として良いと思ったところ。
そして・・・結婚を決意する決め手についても・・・照れながら真面目に答えてくださいました。
田中氏のポリシーは、日々一生懸命やって後悔を残さないこと。その都度全力を、最善を尽くすこと。そしてスピード感。心配なものは早めに決着をつける。スピード感のある仕事を心がけていらっしゃるそうです。
nice!(0) 

2012.0328 O.A 釧路孝仁会記念病院 脳神経外科 石井洋介氏

ishiiyousuke.jpg
<part1>
ドクターになるきっかけは、おそらく小学校低学年の時の夏休みに読書感想文を書くために読んだ野口英世の伝記にさかのぼります。科学の研究をしながら生きていけたら・・ノーベル賞をとる先生になりたいと思われたとか。高校の頃にはブラックジャックを読んで外科医ってカッコいいなとも。
最終的には病棟の実習で一番大変そうだったのが脳外科だったからなのです。
脳外科医の先生は仕事の話しかしないそうで、頭の中、それしかない人ばかりなのだとか。仕事に打ち込むその姿がかっこいいなと思ったそうです。人生これ一つ楽しいなと思うものがあったらそれを突き詰めたら幸せじゃないかと思ってしまったのです。いつまでたっても成長し続けられる、やりがいのある仕事だと思って脳外科を選ばれたというわけです。
尊敬するドクターは・・仕事を楽しそうにやる人。ぶれない人。脳外科は治療をするべきなのか、一歩ひくべきのか、進むべきなのか、迫られる場面が多いそうで、そんな時に一本筋が通っていて患者さんのためを考えて選んでいける人。つまり、治療を選ぶのには患者さんのことと自分の技量を照らし合わせることのできる人ということです。もちろん自分に手に職をつけた上で、自分で正しいと思う治療を自分でできる人が石井氏の理想とする姿なのだと感じました。
<part2>
自分で治療した患者さんが退院していく時に「ありがとう」と言ってくださると、不眠不休でクタクタになっていてもこの仕事について良かったと思うそう。そんなことを経験できる仕事は数少ないのでそんな仕事につける自分は幸せだと感じる瞬間なのだとか。
石井氏が考える手術の上手下手は、客観的には結果。手術して症状が良くなるものはわかりやすいのですが、もともと症状が無い人にする手術が多いそうです。そういった予防的な手術の場合は、合併症を決して出さないこと。もうひとつは手術の時間が短いこと。限られた時間の中で多くの人を手術することなのだそうです。
趣味は本来は仕事。釧路にいらしてからは、積もる雪、家の側に生えているフキ、数々の温泉、流氷、ワカサギ釣り、カヌーを体験し、「毎日が感動の嵐」とおっしゃっておりました。もともと北海道ファンというのもあるのかもしれません。
そんな石井氏、これからの生き方をまだ選びきれていないとか。手術を極めたいと思う一方で、脳の機能にも興味があり、その研究をしてみたい気持ちもあるそうです。いわゆる研究者としての自分も試してみたいということでしょうか。どちらの道を選ばれても、今よりも、病気になった人たちを救いたいという気持ちに変わりはありません。
nice!(0) 

2012.0321 O.A 釧路孝仁会記念病院 副院長&釧路脳神経外科 院長 入江伸介氏

irieshinsuke.jpg
<part1>
小さい頃からメスを持つ先生に憧れた入江氏。
脳外科を選んだのは、だめになると命に直結するのが頭と心臓であり、さらに救急的なものにも興味があったからなのだそうです。
顕微鏡を使った手術はメインの術者の責任、技量に寄るところが大きいというところもやりがいのある仕事と思われたのではないでしょうか。
手術の上手下手とはどんなことなのでしょうか・・・お聞きしてみました。
もちろん結果にも現れるのですが、正常な組織を傷つけず、身体に負担をできるだけかけない手術のことをいうそうです。
そのためにはシュミレーションは不可欠なのです。最近は3Dの画像がとてもきれいになったそうですが、術前に必ずやってみるそうです。
昔は先輩に血管の模型を作るように言われ、針金や紙粘土で作ったこともあるとか。
帯広生まれの入江氏、釧路で暮らして15年。
「今では住んでいるところとしては釧路が一番長くなりました」
<part2>
神の手と呼ばれる福島孝徳drも年に1~2回病院にいらっしゃるそうです。
入江氏は一緒に手術をなさったり、アドバイスを受けたりして間近にいらっしゃることもあるので、
ズバリ伺ってみました。神の手は天性のものなのでしょうか?
もちろん天性のものもあるそうですが、やはり努力だと思うとおっしゃっておりました。
福島氏は常に新しい方法がないのかを考えていて、手術機器にはとてもこだわりがある方なのだそう。さらには自身で機器の開発もなさるそうです。
入江氏にポリシーをお聞きした時に「僕は外科医なので、まずは手術が確実に良い方向にできること。高い技術とレベルを提供できること」と即答なさいました。
穏やかで優しい語りからは想像できないのですが、
小学4年生から始めたサッカーを現在もなさっています。
さらには釧路サッカー協会の副会長もなさっています。
おそらくスイッチが切り替わるとまったく違った入江氏になるのでは?と思えた瞬間です。
「重傷で来られた患者さんが元気にありがとうと言って歩いて帰ることができた時は嬉しいですね」
医者の道を選んでよかった・・と心から思われるのです。
nice!(0) 

2012.0314 O.A 釧路がん検診センター 所長 松浦邦彦氏

matsuurakunihiko.jpg
<part1>
釧路生まれ釧路育ちの松浦氏。平成5年から釧路がんセンター副所長に就任し、平成7年からは所長をなさっています。小さい頃から生物、動物が大好きで、獣医になるか医師になるか迷ったそうです。
医学の道に進まれてからは、終末期医療に興味を持ち、ガンの研究をすることになったのです。
誰もがかかるかもしれないガンについて伺いました。
ガンは何か新しいものが体内に入るのではなく、もともと私たちの体を組織している細胞が変化し、ガン化するのです。新陳代謝の中で生まれてくるものですから、生きている限りは誰もがかかる可能性のある病気ということなんです。若い時は免疫力がありそれをはねかえすこともできるのですが、どんなすばらしい検査をもってしても現在は5ミリ以上にならなければ発見されないそうです。
松浦氏にガンにならないために気をつけていることを伺ってみましたが、特にないそうです。しいてあげるのであれば、太らないことと適度な運動を心がけていらっしゃるそう。
例えばタバコを吸っていると肺ガンになりやすいとか、塩辛いものが好きだと胃ガンになりやすいとか
一般的に言われていますが、太っていると大腸ガンや乳ガン、子宮体ガンなどホルモンの関係のガンになりやすいそうです。肥満はガン以外にも生活習慣病とも結びついたりしますから・・やはり気をつけた方が良いようです。
<part2>
ガンというと不治の病というイメージがあまりに強かったのですが、現在ではその認識は少々違うようです。
現在は、検査の仕方や薬の進歩により、ガンが消えたり、ガンと共存する方法(ガンをコントロールする)が増えたそうです。また、手術自体も身体に負担がかからない方法ができるようになったこともあり、ガンに対する考え方が変わってきた・・と思うと松浦氏はおっしゃっておりました。やみくもにガンということで怖れるものではなくなったということでしょうか・・・
どんなガンでも大事なことは早期発見。これだけは昔から変わらないことです。
そのため、以前から下駄履きでこれる検診を目指されています。町内会館をまわる検診バスもあるので、是非利用してほしいとのこと。
医者という生き方は松浦氏にとって、「思った以上にやりがいのある仕事」「医者という仕事は素晴らしい仕事だとやってみて思う」としみじみと語っていただきました。そんな松浦氏のポリシーは、全ての人に平等に接すること。みんなが健康であるのが一番、そのお手伝いというか支えになれたら・・・と。
自分の身は自分で守る。そのためには自分で検診を受けるしかないのですね。
nice!(0) 
前の10件 | -