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2017.0426 O.A 杉元内科医院 杉元啓二氏

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<part1> 
今回は杉元重治氏の弟さん、啓二氏の登場です。スタジオにはお二人でお越しいただきました。4月から毎週木曜日の午前と午後に診察にあたっています。現在は順天堂大学医学部 附属浦安病院に勤務なさっています。やはりお父様の存在は大きく、小学校に入学した時にはもう開業なさっていたので、ずっと病院で働いている後ろ姿を見て、医師を目指されたそうです。とても頼りになる立派な医師で尊敬なさっているとのこと。「真面目にコツコツとやってきているところとか、割とみなさんの印象にあるように親しまれているところでしょうか?」と。お兄様の重治氏に関しては、「社交的というか、昔から外にでることが好きだったので、僕にはなかなかできないこと。あとは、努力家という点が尊敬しているところかな?」とおっしゃっていました。啓二氏はコツコツと勉強するタイプ、重治氏は要領よく進めるタイプだったとか。なぜ血液内科の道に進まれたのでしょう?大学を卒業して内科に進むことは決めていたそう。内科の中で研修医の時に色々な科をまわり、血液内科で、骨髄移植や末梢血幹細胞移植など、当時20年以上前にそんなに頻繁ではなかった治療にあたり、患者さんを受け持ちました。苦労した面も多かったそうですが、その3ヶ月の経験で決めたのが血液内科でした。治療が特に印象に残っていたことと、さらに、以前この番組にご出演いただいた押味和夫氏の人柄に惚れて入局したという事もあるそう。当時は押味教授の弟子として働かれていたのです。血液内科の中で、研究というと、赤血球・白血球・血小板・凝固と4つ位に大きく分かれるそう。その白血球の中の白血病・リンパ腫・骨髄腫という悪性腫瘍の中の3大腫瘍のうち、押味氏がリンパ腫を専門にされていた関係でリンパ腫に興味を持って研究なさっていました。理想とする医師像は、一番大事なのは患者さんなので、臨床を第一に考える医師。研究も大事ですが、患者さんを直に診療している先生を尊敬すると教えて下さいました。
<part2> 
血液内科を専門とする医師が少ないので、これからは少しでも地域に貢献できる様になりたいと思われています。全国的に見ても血液内科の医師は少ないそう。特に都市部に集中するので、地方は少ない医師で頑張っているところが多いそうです。続いては、趣味のお話しです。
トローンボーンをずっとやっていらっしゃいます。中学生の頃、ブラスバンドを始め、お父様にトロンボーンを買ってもらいました。中学生にとっては高い楽器だったそうですが、それを買ってもらったのです。今もその楽器を使っているとか。「でもトロンボーン仲間からは早く新しい楽器を買うように言われるんです。やはり金属なので、金属疲労等があるので・・30年も使っている人ってそんなにいないんですよね。」大学ではオーケストラで。大編成で演奏する中で、トロンボーンはその人の音しか出ない。ユニゾンで同じ音を出す場合もあるのですが、それぞれのパートで違う音を出すので、違う音を出しているのに、綺麗な和音になったりするのが楽しいと。そこが一番の醍醐味なのでしょうか。他にはマラソンをここ数年で始めたそうです。たまたま誘われたそうですが、最近は年に3回ほどフルマラソンにも挑戦なさっています。大会にエントリーしてそれを目標に続けています。それがなくなるとモチベーションが落ちたりするそう。「やればやるほどタイムが良くなるので、マラソンは頑張ればそれなりにかえってくるというか、そこが魅力ですね。」
啓二氏が思う重治氏の良いところは、優しいところ。明るく社交的なところ。直した方が良いと思うのは・・・おなかじゃないですかね。と。重治氏が思う啓二氏の良いところは・・・真面目で堅実。数学的な感性。直した方が良いと思うのは・・・基本的に口下手なところかな?と。
「患者さん第一でできるだけ辛くない、それでいて治療に専念できる環境にしていければと思います。」最後に締めてくださいました。
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2017.0419 O.A 釧路赤十字病院 内科 関真秀氏

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<part1> 
札幌出身で高校までは札幌。大学は沖縄。人の為になる仕事をしたいという気持ちもあり、またお父様が薬学の先生をなさっていて、医師になってほしいと強く思われていたそうで、洗脳されたと。最初は薬剤師の道も考えたそうですが、でも気づいたらこの道に。ですからお父様はご自身が医師になられた時には相当喜ばれたそうで、現在もそう感じるそうです。親孝行ができてよかったと思われています。内科、腎臓内科を選ばれたのは、色々考えて、医療経済的に良い仕事かな?と思ったそうです。透析も関わってくるので、透析は年間一人当たり400万円位かかるそう。一人助ける事ができれば、1年間に400万円が社会貢献できると思い、そういうところも含めてやりがいがあると感じたのです。腎臓内科はどんなことをするのでしょう?ひとつは腎臓そのものの病気、糸球体腎炎などを治療します。腎臓は色々な理由で悪くなるので、糖尿病と高血圧が多いそうですが、その様な病気を患っている方で抑えきれなくなり紹介でいらっしゃる方をできるだけ腎臓を保存する方向で治療し、腎臓をなるべく長く働く様にしていくというのも仕事。さらに、透析に関しても、日常生活の一部なので、日常生活にスムーズに移行できるようにするのも腎臓内科の仕事なのだそう。腎臓が悪くなっても自覚症状はほとんどなく、検診で見つかるそう。尿検査も大事ですが、腎機能に関しては血液検査。腎臓を悪くする要因は、色々。糖尿病・高血圧を放置しているのが一番良くないそうです。他に脱水。やはり水は飲んでほしいといつも思っているそう。1日に1~2リットル位は水分をとってほしいと。腎臓は血液を綺麗にするので、ある程度血液が流れていかなければならない。脱水になると流れが悪くなるのです。「高血圧だと動脈硬化になり心筋梗塞や脳梗塞を起こすことはご存知ですよね?そもそも腎臓は血液を綺麗にするので、血管が豊富。なので血管が痛むと腎臓も痛んでいくのです。」
<part2> 
理想とするドクターは、的確に診断できる先生。「僕の中の理想は、外来を時間通りに終わらせる先生。早く的確に診断し腎臓を少しでも透析にならないようにしていければといつも思っています。」透析患者さんになった方も良い透析ができるようにしたいと。日々の苦痛が基本的にない透析。長生きできる透析をしてほしいなといつも思っているそう。透析になると、食事と水分管理等の自己管理がとても大事。腎臓を守る為には、水が必要。でも透析になると、水分が身体から抜けなくなり、飲んだら飲んだ分身体に溜まります。透析の時に水分を抜くのですが、その時に沢山溜め込んでいると、抜くのも大変で、大量に抜くと身体の負担が大きくなり苦痛の大きい透析になるそう。本当は水分管理をしっかりしてほしいそう。しっかり管理できないと5年後10年後が大変に。長い目で見なくてはいけないのです。
趣味はパソコンを作る事と、最近はよくyou tubeをご覧になっているそうです。パソコンが好きで、働き出してから始めました。自分でパーツを選んで作ってもらうところからスタート。その後、そのパソコンを自分でハードディスクを増やす、メモリーを増やすということをし、ある程度古くなったところで、全部パーツを入れ替えました。今までに作られたパソコンは4台ほど。現在、ご自宅では自作パソコンを使われているそうです。性能が全然違うので、楽しいそう。「もう少しゲームをやらないとダメだなといつも思っています。そのパーツを普通の人が使うとしたら、ゲームをするか、自分で3Dをいじるかというところだと思います。」最近パソコンのVRを買ったそうです。Google Earth VRがすごく、足元にミニチュアの街があるみたいとのこと。そういうのも自作パソコンの面白いところだとおっしゃっていました。
「腎臓内科なので、減塩と減量をする。これを人にすすめて自分でもする。悪くなったところからその腎臓を少しでも救えるようにするのがポリシーかな?」
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2017.0412 O.A フリーランス いしいちか氏

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<part1> 
急遽ホテルにお邪魔しての収録となりました。一時医師の仕事を中断して、世界旅に出ていらっしゃいます。一時帰国中、釧路にもいらっしゃったので、これまでのこと、今後のこと等々伺いました。約2年ぶりの再会。次は中央アジア、キルギスタン、カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン等の国をまわる予定です。世界旅に出かけたのは2015年の5月。今までは、大陸でいうと、アジア、ブルガニア・ウクライナ等の東側のヨーロッパ、東側のアフリカ、エジプトから南アフリカ共和国まで陸路で南下されました。国としては、この2年で60ヶ国。今までの人生では79ヶ国。現在、100ヶ国を目指しているそうです。本当は2年間で戻る予定でしたが、1年延長して人生100ヶ国を目標に頑張るそうです。この2年で記憶に残っていることは・・・現地の人たちと深くかかわりあえた国が印象に残っているそう。例えば、インドネシア。普通のインドネシアの家族旅行に便乗する形で旅をしたり、アフリカ、ナミビアのヒンバ族(世界で一番美しい民族と言われている)の村にキャンピングカーで泊まらせてもらったり、地元の人たちと深く知り合えた国はとても印象深く心に残っているとのこと。国の大きさにもよるそうですが、1都市にいるのは2〜3日、中国やインドは全部で1ヶ月位。最低1泊はするようにしているそう。気に入ってしまうと旅人用語で沈没というそうですが、そんな所もあるそう。例えば、タイのバンコク。色々な国からの旅人が多く集まっている安宿村みたいなものがあり、そういう所で旅人同士が知り合い長居してみたり、インドのプリーでは、何にもない所なのに、心地よすぎて何もせず1週間位滞在したそう。旅立つ前に、何か一つテーマを決めて世界を巡るというお話しをなさっていました。その一つに民族衣装をあげていたのですが、結構難しいそうです。お金が許す限り頑張っています。物価の安い所では、写真館に行ったり、親しくなった家族に借りたり、民族衣装屋で試着させてもらったり・・。言葉が通じない現地の方とのコミュニケーションのきっかけにもなっているとか。
<part2> 
旅はもちろん一人の時もあるそうですが、その場その場で2~3人のパーティを組んでまわることが多かったそうです。というのは、交通費などをシェアできるので人数が多ければそれだけ一人の負担が少なくてすむからです。旅の中で感じたことは、毎日が楽しいということ。毎日違って毎日楽しいというのがすごく大きいそう。出会う人もそう。日本人もそう、同じ様に旅をしている外国の方も、地元の人も。日本では絶対会えない方々に会えるので、毎日こんな人生もあるんだ、こんな現実もあるんだ、こんな世界もあるんだと新しい発見がいっぱいあるのです。旅をしている中で感じた自分の中での変化はどうなのでしょう?我儘になった感じがすると。良い意味でも悪い意味でも。嫌なことは嫌と言うし、面白いことは面白いと言う。もともと言いたいことは言える性格だけれど、さらに言えるようになっちゃったかな?と。旅の途中で医師をやっていて良かったと思うことは?との問いに「逆にどうしようということが多いですよ」と。極力言わないようにしているそう。一度、ベトナムでトレッキングをしている時に、一緒にいた外国の方が骨を折ってしまいました。助けを求められたけれど、結局山の上で骨が折れていてもできることはなく、すごくもどかしい思いをしたそう。
自分のやりたいことは見えてきたのでしょうか?「旅はやがて終わるので、その後のことをやっと最近考えるようになったんです。ひとつ思っているのは、やっぱり私は旅が好き。旅をしている時がすごく幸せに感じられるし、医師の仕事もすごく好きなので、医師の仕事に旅の要素を入れていけるような仕事ができたら良いなと今は思っています。まずは旅が終わると医師の仕事に戻ってしっかり勉強したいですね。」
この旅は自分探しというのではなく、自分磨き。以前お会いした時よりもパワーアップしてキラキラ輝いている彼女が羨ましく思えました。
※なお、彼女のブログ「ちかpresents ひとり世界不思議発見 feat.くまねずみちゃん」はこちらです。
http://chicabuenviaje.jp/
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2017.0405 O.A 釧路赤十字病院 内科 宮愛香氏

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<part1> 
「出たかった〜。ずっと出たかったんですよこの番組に。」第一声に嬉しいお言葉をいただきました。
さらに「杉元先生の出演回数を超えたい!」とまたまた嬉しい発言を。
格闘技を見るのが小さい頃からお好きで、プロレスとかボクシングを見ていたそう。辰吉選手のタイトルマッチをテレビでやっていた時、辰吉選手が勝っていた試合なのに、血が止まらなく反則負けになってしまいました。その時ご両親に「この辰吉選手の血を止める人になりたい」と訴えました。お父様から「それは医者の仕事だから、医者になったら良いよ」と言われ、この道に。実は、リングドクターになりたかったのに、やりたかった仕事はセコンドのボクシングジムの会長の仕事だったのです。それに気づいたのが、医学部3年目の頃。リングドクターは一番選手に近い所で試合を見る事ができるのでそこにも魅力を感じていました。さらに、小さい頃から働く人を見るのが好きだったそう。格闘技の試合をサラリーマンの方がネクタイを外してリラックスして夢中になっている姿を見るのも好きだったと。
実はリングドクターの夢も最近叶えたそうです。先輩のお手伝いでキックボクシングの試合に出かけました。思っていたよりも近くで見ることができたそう。目の前に脚が4本・・みたいな距離だったので、近すぎてどちらが勝っているのかわからなかったそうです。選手がKOで倒れてしまうと、医師がリングに上がらなければなりません。レフリーが試合を止めて、「ヘイ!ドクター」と呼ばれるそう。ところが、リングのロープは跨ぐには高すぎて、潜るには低すぎる高さで、首の筋がつってしまったそう。ただ、試合の流れを止めることができないので、何事もなかったかのように振る舞ったそう。一緒に行かれた先輩は、そのロープを走高跳びのベリーロールみたいな感じで回転してリングイン。しかも長白衣をなびかせて。「とっても格好良かったです。いや〜奥深いな〜リングドクターって思いました。」
<part2> 
現在は内科、特に糖尿病専門になさっています。糖尿病そのものは治療の方針が人それぞれに違うのが興味をもったところ。初めてお会いしてお話しを聞いて、この方は何を求めてここにいらしているのか?どういう治療方針が良いのか?糖尿病の治療がその方の暮らしに邪魔にならない様に一緒に長く続けられる方法があるかな?といつも考えていらっしゃるそう。他には少し味を薄くしましたとか、ごはんの盛りを少なくしましたとか、寝る前15分体操する時間を作ってみました等、忙しい中、皆さんが工夫をなさっているので、少しだけ健康志向になるには、どういう作戦が良いのかを考えながらお話しする事を今勉強中なのだそうです。
糖尿病にならない為にはどうしたら良いのでしょう?まずは、痛くも痒くもないけれど、自分の体のバランスが崩れている事があるので健康診断を受けること。予防策はあるのでしょうか?少しだけ健康志向になるだけでも良いそう。ちょっと階段を使ってみる。車を駐車場の隅に止めて歩いてみる。身体を動かす時間を捻出する。野菜から先に食べる等など。最近、宮氏が患者さんにすすめていることは、細い箸を使うこと。食べる事が難しいのでゆっくり食べることにつながるのです。他には可愛い箸置きを買ってきて、食べている途中に箸を置いてみたりする。早食いの方もゆっくり噛んで食べる事で満腹感がでて、血糖値の上がりが緩やかになるとか・・・その様な積み重ねが大事という事です。
リクエストは井乃頭蓄音団。フォークでもあり、ロックでもあり、昭和な感じです。文字でみると過激な歌詞が目に飛び込むのですが、でもよく聞くと、すべてが清純な愛の歌なのだそう。「ぜひ釧路から流行らせたい!聞いてほしいです」テレビで聞いた途端 5秒でハマったとか。宮氏はそのツアーTシャツ(サイン入り)でスタジオイン。「だって二度と出れないんじゃないかと思って完全な格好で来ました!」
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2017.0329 O.A 足立産科婦人科医院 足立英文氏

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<part1> 
ご夫婦で釧路に戻られ、4月3日から病院に。構想は具体的にはなかったそうです。小さい頃から医師になって欲しいというお父様の気持ちを感じていて、実際に中学高校の頃は産婦人科医になって帰っておいでと言われていたそうです。ただ、大学医学部に入ってからはどの科に進んでも良いと言われたとか。医師になって3年目位の時に実家の病院が分娩と手術をやめ、そこからお父様がトーンダウンし、無理して帰ってこなくても良いとも・・・。お母様が一昨年に亡くなられ、お父様もとても寂しそうに感じたそう。そこで、帰ってこようかどうか迷っていたそうですが、奥様の後押しもあり、戻ってこられたのです。一番喜んでいらっしゃるのは間違いなくお父様だと思います。「そうだと良いのですが、その割には可愛くないこと色々言ってきたりするんですよ 笑」医師を目指したのは、理系が得意だったこと、親戚も医師が多く身近な職業だったことが大きな要因。他には車が好きだったので、工学部に入って自動車関係のエンジニアになりたいかな?と思ったこともあったそうですが、物理が苦手で断念なさったとか。産婦人科を選ばれたのはやはりお父様の影響。そうでなければ多分なっていなかったともおっしゃっていました。さらに、お父様の後輩の先生が帯広にいらっしゃり、大学6年の時に実習でお邪魔し、毎日深夜まで説得され、熱心な勧誘を受けたこともあったそう。
得意とするのは手術。内視鏡手術。腹腔鏡下手術。婦人科の疾患の中でも良性疾患、代表的なのが、子宮筋腫、子宮腺筋症、子宮内膜症、良性の卵巣腫瘍などを腹腔鏡を使い低侵襲に、なおかつ精密な手術をするというのが専門分野です。医師になって13年目。今思うお父様の偉大さはを伺いました。「やっぱり勤勉なところですね。父は兄と二人で開業したのですが、二人で分娩と手術をずっとやるというのはかなり肉体的にも精神的にも大変だと思う。そこは真似できない。長く継続して勤勉に働くところは正直かなわないと思う。」
<part2> 
釧路出身で高校までは釧路。釧路には22年ぶりに戻られました。奥様は札幌出身でずっと札幌。でもその奥様が釧路に帰って一緒にやろうとおっしゃってくださったことで釧路に帰ることを決断。奥様の専門は不妊治療。札幌医大の不妊チームで体外受精などを専門になさっていたそうです。
趣味はスポーツ観戦。野球や海外サッカー、ラグビーなどを見るのが大好き。小学生と大学生の時はサッカー。中学高校はテニスをなさっていました。野球は日本ハムファイターズの大ファン。札幌ドームに行ける時はいって応援していたそうです。実はこの春小学校1年性になる息子さんが野球が大好き。今後も時間を見つけて連れていってあげたい・・・と。応援している選手は中田選手と大谷選手。テニスはやはり錦織選手。
その他の趣味は海外旅行。家族で旅行に行くのが大好き。東南アジアの暖かいところ、リゾート地でのんびりするのがお好きとか。お子様とひたすらプールで遊ばれるそうです。「日本のプールとは違い、人が少なく、暖かく、最高なんです」特に好きなのはバリ島。バリの気候と英語が聴きやすい、フレンドリーと感じるところが魅力。他にはベトナムも。世界遺産のホイアンのすぐ近くにあるホテルがあり、前から行きたいと思っていたホテルだったそうで、そこも最高とおっしゃっていました。ホテル選びが大事な要素というのがお話しをお聞きしていてよくわかります。ご自身が小さい頃休みに家族揃ってどこかに出かけたという思い出があまりないので、自分の子供には寂しい思いをさせたくないという気持ちもあるのです。
「今後の展開は、従来通り行ってきた子宮ガン検診などが中心の婦人科、妊婦検診中心の産科に加え、体外受精までできるような不妊症、あとは女性の美容関連の医療を柱にして、病院を増築できるくらいの多くの患者さんにお越しいただけるような病院づくりを目指してこの先やっていきたいと思っています。」
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2017.0322 O.A 釧路労災病院 歯科口腔外科 大坪誠治氏

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<part1> 
今回ラストの出演です。4月から故郷の美唄市に戻られ、家業を継がれるのです。ラストは3人の応援団とともにスタジオイン。杉元内科医院 院長 杉元重治氏、おかだ歯科 院長 岡田実継氏、金安薬局中園店 薬剤師 宮前彰彦氏。まずは大坪氏とのつながりから伺いました。
杉元氏は釧路労災病院で開催された緩和研修会で会い、そこからのつながり。そして人生初の全身麻酔で親知らずを抜いてもらったそう。岡田氏はもう25年位のおつきあい。開院する前に釧路赤十字病院で歯科口腔外科で勤務なさっていた時に初めてお会いしたそう。宮前氏は薬剤師として在宅医療にも関わっているので、そのつながりで岡田氏とも知り合い、歯科連携室で大坪氏とも知り合ったそうです。
「こうやって皆さんと一緒になってワイワイすることが好きなんです。人とのつながりが大事なことを痛感しました。一生の友達でいることができたら嬉しく思います。」トータルで17年くらいは釧路にいらっしゃいました。ドクターになられて半分は釧路で過ごされたのです。今後は本業が落ち着いたら、地域での医療に関わることができれば・・と思っていらっしゃいます。
大坪氏からの告白タイム!「杉元先生はお話しが上手。人を惹きつける魅力をお持ち。岡田先生はこれから釧路歯科医師会をまとめていく存在になっていくと思う。在宅医療にも力を入れていらっしゃるので、僕の目標とさせていただきます。女性だけではなく男性にも優しいところ、そしてお話しが上手が好きかな?宮前さんは明るい。誰とでもフランクに話してくれて、場をすごく明るくしてくれる。そこが魅力です。みなさん仕切る能力というか、それがおありなんだなと思いますね。」
<part2> 
3月に入って送別会の嵐。それだけみんなに愛されている証拠だと思います。
「釧路の思い出は・・・労災で勤めていて仕事の面で充実した日々でした。後半は皆さんと知り合うことができて、地域医療の色々と勉強させていただき、皆さんと関わることができてそれが非常に有り難かったです。釧路労災病院のもと院長の草野氏との出会いでインドシアニングリーンICGと出会え、趣味と実益が一緒にり、それがすごく楽しかったです。一般の歯科治療はあまり得意ではないので、かといって血を見るのが嫌いなので、でも色々な手術をさせてもらって、技術も含めて勉強させてもらったな・・と。患者さんから勉強させていただいたという感じですね。」
ここで、大坪氏からの質問タイム!!「地域で連携を考える時に何を一番最初になさったのでしょう?」
杉元氏「医療と介護福祉に分けて考えると、医療の場合は、自分が釧路赤十字病院に所属していた時に緩和チームの話があり、将来的に自分は開業すると思っていたので、前もって色々な先生たちにお話しを伺いました。先にそういうチームをつくってその一員となりたいなという気持ちがあったんです。そして介護福祉の面では、まったくわからない分野だったので、社協の方にまずお話しを伺い、そこから広げていきました。結局今のCCLの一番の出だしになっているんです。」
岡田氏「歯科はとくにいらっしゃる患者さんを診るのが仕事。在宅の歯科診療を始めたのが10数年前。それから色々な方と知り合い、顔のつながりができてきました。大坪先生も今そういったことをなさっているので、今なさっていることを美唄で続けてくだされば良い方向にいくのでは?と思います。」
宮前氏「実は薬剤師は指示がないと訪問ができないんです。先生からどうやって指示をもらうかということから始めました。これはラッキーだったと思うのですが、一番最初に指示をもらって個人のお宅に行ったのが杉元先生の指示だったのです。そこから僕の在宅の人生は始まったんです。大坪先生の様にキャラクターでみんなを惹きつける、そういう人がいるとコミュニティができると思う。人脈みたいなものですかね。顔の見える関係が広がるとすごく良い仕事ができると感じています。大坪先生だったら美唄でも絶対大丈夫!」
大坪氏「貴重な意見をいただけて、ありのままの自分でいけば良いのかな?と思いました。」
最後に大坪氏に贈る言葉を最後にいただきました。
杉元氏「非常に実直で真面目な先生なので、ありのままの自分でそのキャラクターで、きっと人間関係もうまくやっていけると思いますし、我々は地域は違えど、気持ちはひとつですので、心は一つですから。」
岡田氏「これが今生の別れではないので・・。今まで大坪先生がやってきた事、それは絶対間違っていないと思います。同じ方向を僕らが見ていると思うので、同じ様にやっていっていただければと思います。」
宮前氏「大坪先生のキャラクターであればどこに行っても何でもできると思います。本当はとても寂しいです。でも旅立ちですから、祝福して送りだしたいと思います!」
大坪氏「釧路で足掛け17年。こうやってやってこれたのも皆さんのおかげで・・・事故もなく、うまくやってこれたのかな?って今考えると思います。僕は実家に戻りますが、僕の後輩が一生懸命やってくれると思っていますので、みなさんの力で盛り上げていただければと思います。どうもありがとうございました。」
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2017.0315 O.A 杉元内科医院 院長 杉元重治氏

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<part1> 
今回は、医療って何?介護って何?というお話しから。簡単に言うと、医療というのは、病院やクリニック、診療所等で行われる医療行為。介護は、医療ではなく、機能が落ちた、例えば足の力がなくなって動けなくなったりした場合にそのサポートをする為に必要なもの。大きく分けてその2つに分けられます。今、医療と介護の連携が重要視されています。病気はある程度治ったけれど、元の生活に戻るには暫く時間がかかるといった時にその間を埋める為にリハビリをしたり、在宅医療なども介護で・・というのがあるのです。今後、医療と介護というのが同時に必要になる方が多くなります。旨く使い分けて生活を続けていける様にということ。介護保険は原則65歳以上の方が対象。介護で言えば、要介護3などの介護の程度をある程度、客観評価する為に認定審査会を毎日開いて最終的に判断を出しているそうです。杉元氏は開業してから今後の高齢社会において、介護が必ず必要になると痛感しました。さらに、介護認定審査会に参加するようになり、ものすごい数の認知症の患者さんの存在を知ったことで、このままではいけないと感じたのです。この人達を医療だけで支えるのはおそらく不可能だし、このまま進むと病院はパンクすると感じたのです。一般の方が一番困っていらっしゃることは、病気ではないが、転びやすくなったとか、物忘れがひどくなった等ということ。核家族化が進み、高齢化により老老介護も増えています。もちろん全部が全部カバーできるかどうかはわかりません。まずはそういう制度を一般の方にもわかるようにする事が大切なのです。広報くしろにも載っているのですが、見なければ・関心がなければ、その方には響きません。「とにかく誰かに相談してほしい。近所の町内会でも、民生員でもまず相談していただけると、必ずどこかにつながります。釧路地域包括支援センターは釧路市に7箇所あるので、そこに繋がるのが一番なのですが。また、かかりつけ医に相談する方法もあります。」
<part2> 
医療と介護の連携が非常に大事。それを具体的にする為に、色々な面で使いやすい、共通の情報ツールとして「つながり手帳」が作られました。中には基本情報、望む暮らし方、現在の介護の状況、食事について、必要なケア、連絡手帳などの項目があります。杉元氏曰く「私の望む暮らし方が一番大事にしましょうということで、関わっている方々と共通認識を持ったところ。例えば、どこで最期を暮らしたいかということもそう。最終決定ではなくても、この手帳を使うにあたって初心が記載されていると後々医療側も介護側もそれがまず根本になると思います。」このつながり手帳の目的は、介護保健法に基づき、医療や介護が必要な状態になっても、住み慣れた地域で安心して暮らし続けることができる様、医療と介護の関係者が連携し、切れ目のない支援体制の構築につなげることです。「最初は運用としては今現在入院されている方が退院した時に使うという形からのスタートになると思います。」この手帳の後ろには診察券、ケアマネージャーの名刺、お薬手帳、保険証等が入る工夫もされています。これ1冊あれば、その方について網羅できるようにしたいと考えていらっしゃいます。ここに至るまでには様々な方が関わり、何度も会議や打ち合わせがあり、その間の沢山のものが蓄積されて出来上がったもの。非常に色々な方の目が入っているので、それぞれの方の思い入れもたくさん詰まっています。つながり手帳はこの後4月から運用をスタートさせるそうです。「将来的な展望としては、こういうものがIT化できればより良いと思うのですが、まずはこの手帳があってよかったという事実が大事だと思うので、始めてみることだと思います。これは完成形ではないと思っているので、今後改良されて進化していけばよいと思います。」
ゆくゆくは、災害時の時にこれ1冊持って逃げると良いという感じになればよいですね。
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2017.0308 O.A あさの皮フ科クリニック春採分院 院長 伊藤康裕氏

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<part1> 
クリニックをオープンして3年目。函館出身の伊藤氏は、釧路市昭和南にある、あさの皮フ科クリニックの分院の院長をなさっています。浅野先生は伊藤氏が研修医の時の指導医だった方。東京の国立ガンセンター中央病院で浅野先生が研修を終え、戻られてからのことです。「僕の今の診療に大きな影響を与えた先生のひとりです」浅野先生のすごいところは、人を惹きつけるところ。マリモで釧路を盛り上げ隊の活動などではたくさんの方に影響を与えるなど、多くの人を巻き込む力はすごいと思うとおっしゃっていました。
小さい頃におばあ様が入院し、颯爽としている医師の姿を見て、単純に格好良いと思ったそうです。憧れみたいな感じとか。実は当初は内科を目指していらしたとか。学生時代、臨床実習という形で1~2週間で各科をまわりました。でも短期間ではその科のことはわかりません。悩んでいた時に皮膚科の実習がありました。たまたまその1週間の間に飲み会があり、そこでその当時准教授だった方に2時間アツい勧誘を受け、最後に皮膚科の説明会があるから来てくれないかと言われたのです。「説明会は行きます。でも僕は内科だと思いますけど」と。その説明会に行ったところ今度は教授から直々にアツいオファーをうけ、そこでも密度の濃いお話しをお聞きになり、皮膚科という選択肢がひとつ増えたそうです。そこから悩んで悩んで悩んだ末に皮膚科に決められたそうです。飲み会がなければ内科医になっていたかもしれませんとおっしゃっていました。
皮膚科は診断、手術、病理を全部自分でやる科。一から十まで全部自分がやるのです。自分で完結できる科、そこが魅力とも。本来は皮膚ガンが専門です。理想とするドクター像は「まさにうちのボス、浅野先生。常に追いつけ追い越せという気持ちで頑張ってきました。もう追い越したな?と思ってもよくよく見たら全然まだまだだなって思わせるような先生。一言ではなかなか言えません。でも凄いとしか言いようがないんです。」
<part2> 
皮膚科は季節によって患者さんの症状は違うそう。夏は汗をかくので、あせもや水虫などが多くなります。冬は乾燥すると、乾燥肌で痒いという患者さんが多いそう。乾燥肌はひたすら保湿剤を塗ること、それに尽きるそう。もともと皮膚にはバリアがあり、バリアがあるので、皮膚は外からのばい菌やウイルス等から遮断されます。中からは水分がぬけるのを防いでいるのです。乾燥するとそのバリアが破壊されて、外からばい菌が入りやすかったり、内からは水分が抜けやすくなったりするということ。皮膚のバリアを整えるのが重要で、その為に油分を補うということ。水分が足りないからといって水をかけても良くなりません。乾燥しやすい部位は膝から下の足の部分や、肘から先の腕の部分などもともと脂分が少ないところ。だから乾燥しやすいのです。油物を食べたら良いというものではなく、やはり外からの塗るのが一番良いそうです。特にお風呂上がりに塗るのが効果的。お風呂からあがってすぐ、まだ潤いがあるうちに塗った方が良い効果があるそうです。
趣味は読書と旅行。これはセットです。歴史物がお好き。本を読んで舞台となった場所を旅する。最近お読みになったものは「真田太平記」。大学病院にいる時は圧倒的に医学書を読まれていて、少しだけ趣味の小説などを読まれていたそう。そのうちだんだん小説の方の割合が多くなったとか。高校時代も日本史は得意だったそうです。先生が行かれて良いと思ったところを教えていただきました。ひとつは、安土城跡。信長の居城。城も何もありません。何もないのが逆に想像でき、その場所で佇み、信長の心境等を考えてみたりするそう。
もうひとつは、関ヶ原の合戦跡。そこも何もなく、石田三成の陣が小高い丘にあり、ここを見下ろして天下のことを考えていたのかな?と思いながら時間を過ごすそう。男のロマンでしょうか。医学とは別世界です。
ポリシーは、とにかくやれる事は全部やる。これはなんとかできそうだと思ったら、どんな状態でもドクターだからなんとかする!・・力強いお言葉でした。
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2017.0301 O.A 血液内科医 押味和夫氏

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<part1> 
現在、釧路労災病院で週2日、釧路中央病院で週1日、つるい養生邑病院で週1日診察をなさっています。出身は福島、東京大学を卒業後アメリカへ。お父様が開業医、親戚にも医師が多く、当然のようにこの道へ進まれました。ガンに興味があったそうです。叔父様が東北大学の病理にいらして、中学1年の頃、そこに遊びに行かれたそう。その抗酸菌病研究所に叔父様の同僚の教授、佐藤春郎氏がいらして、ちょうど実験中だったのです。お腹の膨らんだラットに針をさし、白いドロっとした液体を取り出し、顕微鏡で見せてくれたそうです。それは吉田肉腫というガン細胞だったのです。キラキラ白く光る細胞がいっぱいあり、よく見るとそれが動いていたそうです。その出来事が強烈で、ガンの研究をしようと心に決めたのです。血液内科の道に進まれるのですが、はじめは血液というよりガンをやりたいという気持ちが強かったのです。ガン内科は昔なかったので、近いものが血液だったので、選ばれたということ。臨床をやりたい!きちんと診断して治療できる医師になりたいと、日本を飛び出しアメリカで2年間、臨床で苦労して酷い目にあって帰ってこられたそう。英語はわからず、医学もできなく、もう二度と行かないと思い帰国、そこから研究したいと思われました。ちょうどその頃免疫学というものが出てきたそうです。どういう理由でガンになるのかというのが全くわからなかった頃、キラーT細胞、ガンをやつける細胞を作り、ガン細胞を殺せ!と日本でその研究をスタートします。その後NK細胞が発見された時、当時のボスから「こういう細胞があるよ」と教えていただき、その研究を始めました。NK細胞がどうやったらガンを殺す事ができるのかを研究なさったのです。NK細胞とは自然の殺し屋。ナチュラルキラー。身体の中でたえずNK細胞が見張っていて、ガン細胞が出てくると殺しているのではないか?或いはウイルス感染細胞などを殺しているのではないか?などと言われているそう。NK細胞が身体の中にたくさんあると、やはりガンになりにくいそう。
<part2> 
医師になられて46年。その間に色々なことが変化しました。進歩が早く勉強していないとすぐ置いていかれると。一番の例は慢性骨髄性白血病。助ける方法は骨髄移植でした。でも骨髄移植は合併症で亡くなる方も結構多いそう。確実な治療法はなかったのです。それが今、飲み薬で生きられる様になったのです。今でも完全ではないそうですが、改良され良い薬が出てきて、薬だけで・・という時代がきたのです。
凄い医師ってどんな方でしょう?との問いに「まずしつこく勉強して、私が言ったことは信じないで、とにかくきちんと勉強してしつこく患者さんを診て、粘り強くね。あとは患者さんの気持ちをよく聞いてあげる。言っていることを聞いてあげる医者ですね」気持ちはあっても、忙しくてなかなか現実にはできないそう。昔は1日のうちの1/3は患者さんを診て、1/3は研究して、1/3は自分の命を維持する時間だったそうです。大学病院にいても、現在は、1/3の臨床が増えて、研究の時間がなくなってくるとおっしゃっていました。それが一番の問題で、しわ寄せが研究にいくのだとか。日本の医学が今後がとても気になるそうです。
鶴居リンパ腫ワークショップという研究会を鶴居にいらした2012年から始めたそう。最初はテストケースで小さい規模で実施。これが好評で翌年から悪性リンパ腫の勉強会を正式にスタートします。これは講義をする側もされる側も全部手弁当。夏休みを利用して家族でいらっしゃる方が増えているそう。日本でも最高のレベルの方々が気軽にいらしてくれると。今年は8月3日に釧路市内で開催し、4日以降は鶴居で実施予定。3日は香港とソウルから面白い研究・治療している医師を呼び、彼らにお話しをしていただく予定とか。最先端のお話しが聞く事ができるそうです。すべて英語です。前座で先生の弟子とおっしゃる方がお二人、現在研究しているお話しをなさるそう。「誰に何を話してもらうのか考えるのが楽しみなの」と一番先生が楽しそう。その会のモットーが「よく遊び、よく学べ」。先生のポリシーも同じく「よく遊び、よく学べ」。
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2017.0222 O.A 市立釧路総合病院 麻酔科 西原教晃氏

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<part1> 
1月末に市立釧路総合病院でオープンホスピタルという企画が開催されました。高校2年生を対象に講義が行われ、その後実技という形で、手術室を解放し、ダヴィンチを操作してもらう、人形に対して気管挿管を体験してもらう等様々な事が行われました。当日、全行程が終わった後で参加した高校生10人に感想を伺いました。「手の通りに機械が動いて感動した」「お医者さんになっても難しい事があるんだと思った。あとは責任感というものが重要だと感じた」「本当に医者になったらミスすることができないと、きちんと技術を身につけていないといけないと感じた」「ダヴィンチの体験が一番心に残った。お医者さんてなんでもやらなければならないので楽しいだけではなく人の命を預かるのはすごい事だと思った」「ダヴィンチを体験してとても緊張した。その集中力を何時間も続ける現場の人はすごいと感じた」「自分も手術の経験はある。その手術にも多くの人の協力や苦労があったことを今日知ってとても驚いた」「自分が知らない仕事をたくさんしていて、大変な仕事だけどカッコ良いなと思った」「普段見ることのできない所を自分の目でみて、体験して、手術の時には麻酔科医がいたり、機械を調整する人がいたりと色々な人がいて一人の患者さんが治るという流れが見えた」「普段できない機械操作ができて良かった」「知らない事を沢山知る事ができたのはもちろん、自分の人生の中で体験できない様な事をさせてもらったのでとても勉強になった」その感想を受けて・・「やはりダヴィンチが印象深かったみたいですね。もう少し麻酔のことも印象に残ってほしかったな」と少々寂しそう。「責任感を感じたとか、チームで動くことが大事だと感じていただいたり、こちらの思った以上のものを感じ取ってくれたと思うと感動しました。やっぱり地元の子供たちに地元に残って働きたいと思ってもらえることが最終目的だと思う。その為にはこの仕事に就きたいという想いも大事ですが、その想いを抱かせる為になんとかしたいな、楽しいなって思ってもらいたいと思ったんですよね。医療に対する憧れを感じ取ってくれたみたいで、僕としては満足のいく企画でしたね」
<part2> 
講義の中で、西原氏が語られた麻酔科医としての誇りについて伺いました。大事にしている部分です。麻酔科医の仕事は、他の科の先生と違い、バリバリ診断して治療をやってという感じではなく、どちらかというと縁の下の力持ち的存在。他の科の先生のサポートをする感じが比較的多いのです。「僕等が何を大事にして何を守るかというと、患者さんの命を守るのは当たり前。色々なお薬を使って体を守るのも当たり前。でも一番は患者さんの苦痛、辛いことをなるべく取り除いてあげて、楽なように手術を受けてもらったり、重症な病気の治療をしてもらったりを心がけているんです。それが麻酔科医として求められていることなのかな・・・。患者さんの命と体だけではなく心もしっかり守れるような麻酔科医になりたいのです。」
麻酔科の仕事は他にも沢山あります。手術の麻酔はもちろん、救急系、ドクターヘリもそう。ヘリに乗って現場に行って患者さんを診療する。連れてくるという事も麻酔科医が乗っている場合が多いそう。ヘリだけではなく、救急車でくる重症患者さん、一番重症な患者さんを診るのが市立釧路総合病院では麻酔科なのです。それに加えて集中治療室ICUでの患者さんの細かい管理もそうです。医師になって6年目。やるべきことは見えてきたそう。患者さんの辛いことを取り除いて、心を守ることを大前提として、重症患者さんが自分の目の前で命を落とすことがないように、その管理についてもさらに勉強してしっかりできるようになりたいとおっしゃっていました。麻酔科は他科との連携がとても必要。サポートメインなので、うまくチームプレイでひとりの患者さんを救うのがスタイル。色々な科の架け橋になったり、コーディネーター的な役割が求められる資質だったり役割だったりすると思うとも。地味だけどなくてはならない存在。潤滑油みたいですね。「色々な科、職種をつなげて患者さんがハッピーになれば良いんです。」
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