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2017.0322 O.A 釧路労災病院 歯科口腔外科 大坪誠治氏

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<part1> 
今回ラストの出演です。4月から故郷の美唄市に戻られ、家業を継がれるのです。ラストは3人の応援団とともにスタジオイン。杉元内科医院 院長 杉元重治氏、おかだ歯科 院長 岡田実継氏、金安薬局中園店 薬剤師 宮前彰彦氏。まずは大坪氏とのつながりから伺いました。
杉元氏は釧路労災病院で開催された緩和研修会で会い、そこからのつながり。そして人生初の全身麻酔で親知らずを抜いてもらったそう。岡田氏はもう25年位のおつきあい。開院する前に釧路赤十字病院で歯科口腔外科で勤務なさっていた時に初めてお会いしたそう。宮前氏は薬剤師として在宅医療にも関わっているので、そのつながりで岡田氏とも知り合い、歯科連携室で大坪氏とも知り合ったそうです。
「こうやって皆さんと一緒になってワイワイすることが好きなんです。人とのつながりが大事なことを痛感しました。一生の友達でいることができたら嬉しく思います。」トータルで17年くらいは釧路にいらっしゃいました。ドクターになられて半分は釧路で過ごされたのです。今後は本業が落ち着いたら、地域での医療に関わることができれば・・と思っていらっしゃいます。
大坪氏からの告白タイム!「杉元先生はお話しが上手。人を惹きつける魅力をお持ち。岡田先生はこれから釧路歯科医師会をまとめていく存在になっていくと思う。在宅医療にも力を入れていらっしゃるので、僕の目標とさせていただきます。女性だけではなく男性にも優しいところ、そしてお話しが上手が好きかな?宮前さんは明るい。誰とでもフランクに話してくれて、場をすごく明るくしてくれる。そこが魅力です。みなさん仕切る能力というか、それがおありなんだなと思いますね。」
<part2> 
3月に入って送別会の嵐。それだけみんなに愛されている証拠だと思います。
「釧路の思い出は・・・労災で勤めていて仕事の面で充実した日々でした。後半は皆さんと知り合うことができて、地域医療の色々と勉強させていただき、皆さんと関わることができてそれが非常に有り難かったです。釧路労災病院のもと院長の草野氏との出会いでインドシアニングリーンICGと出会え、趣味と実益が一緒にり、それがすごく楽しかったです。一般の歯科治療はあまり得意ではないので、かといって血を見るのが嫌いなので、でも色々な手術をさせてもらって、技術も含めて勉強させてもらったな・・と。患者さんから勉強させていただいたという感じですね。」
ここで、大坪氏からの質問タイム!!「地域で連携を考える時に何を一番最初になさったのでしょう?」
杉元氏「医療と介護福祉に分けて考えると、医療の場合は、自分が釧路赤十字病院に所属していた時に緩和チームの話があり、将来的に自分は開業すると思っていたので、前もって色々な先生たちにお話しを伺いました。先にそういうチームをつくってその一員となりたいなという気持ちがあったんです。そして介護福祉の面では、まったくわからない分野だったので、社協の方にまずお話しを伺い、そこから広げていきました。結局今のCCLの一番の出だしになっているんです。」
岡田氏「歯科はとくにいらっしゃる患者さんを診るのが仕事。在宅の歯科診療を始めたのが10数年前。それから色々な方と知り合い、顔のつながりができてきました。大坪先生も今そういったことをなさっているので、今なさっていることを美唄で続けてくだされば良い方向にいくのでは?と思います。」
宮前氏「実は薬剤師は指示がないと訪問ができないんです。先生からどうやって指示をもらうかということから始めました。これはラッキーだったと思うのですが、一番最初に指示をもらって個人のお宅に行ったのが杉元先生の指示だったのです。そこから僕の在宅の人生は始まったんです。大坪先生の様にキャラクターでみんなを惹きつける、そういう人がいるとコミュニティができると思う。人脈みたいなものですかね。顔の見える関係が広がるとすごく良い仕事ができると感じています。大坪先生だったら美唄でも絶対大丈夫!」
大坪氏「貴重な意見をいただけて、ありのままの自分でいけば良いのかな?と思いました。」
最後に大坪氏に贈る言葉を最後にいただきました。
杉元氏「非常に実直で真面目な先生なので、ありのままの自分でそのキャラクターで、きっと人間関係もうまくやっていけると思いますし、我々は地域は違えど、気持ちはひとつですので、心は一つですから。」
岡田氏「これが今生の別れではないので・・。今まで大坪先生がやってきた事、それは絶対間違っていないと思います。同じ方向を僕らが見ていると思うので、同じ様にやっていっていただければと思います。」
宮前氏「大坪先生のキャラクターであればどこに行っても何でもできると思います。本当はとても寂しいです。でも旅立ちですから、祝福して送りだしたいと思います!」
大坪氏「釧路で足掛け17年。こうやってやってこれたのも皆さんのおかげで・・・事故もなく、うまくやってこれたのかな?って今考えると思います。僕は実家に戻りますが、僕の後輩が一生懸命やってくれると思っていますので、みなさんの力で盛り上げていただければと思います。どうもありがとうございました。」
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2017.0315 O.A 杉元内科医院 院長 杉元重治氏

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<part1> 
今回は、医療って何?介護って何?というお話しから。簡単に言うと、医療というのは、病院やクリニック、診療所等で行われる医療行為。介護は、医療ではなく、機能が落ちた、例えば足の力がなくなって動けなくなったりした場合にそのサポートをする為に必要なもの。大きく分けてその2つに分けられます。今、医療と介護の連携が重要視されています。病気はある程度治ったけれど、元の生活に戻るには暫く時間がかかるといった時にその間を埋める為にリハビリをしたり、在宅医療なども介護で・・というのがあるのです。今後、医療と介護というのが同時に必要になる方が多くなります。旨く使い分けて生活を続けていける様にということ。介護保険は原則65歳以上の方が対象。介護で言えば、要介護3などの介護の程度をある程度、客観評価する為に認定審査会を毎日開いて最終的に判断を出しているそうです。杉元氏は開業してから今後の高齢社会において、介護が必ず必要になると痛感しました。さらに、介護認定審査会に参加するようになり、ものすごい数の認知症の患者さんの存在を知ったことで、このままではいけないと感じたのです。この人達を医療だけで支えるのはおそらく不可能だし、このまま進むと病院はパンクすると感じたのです。一般の方が一番困っていらっしゃることは、病気ではないが、転びやすくなったとか、物忘れがひどくなった等ということ。核家族化が進み、高齢化により老老介護も増えています。もちろん全部が全部カバーできるかどうかはわかりません。まずはそういう制度を一般の方にもわかるようにする事が大切なのです。広報くしろにも載っているのですが、見なければ・関心がなければ、その方には響きません。「とにかく誰かに相談してほしい。近所の町内会でも、民生員でもまず相談していただけると、必ずどこかにつながります。釧路地域包括支援センターは釧路市に7箇所あるので、そこに繋がるのが一番なのですが。また、かかりつけ医に相談する方法もあります。」
<part2> 
医療と介護の連携が非常に大事。それを具体的にする為に、色々な面で使いやすい、共通の情報ツールとして「つながり手帳」が作られました。中には基本情報、望む暮らし方、現在の介護の状況、食事について、必要なケア、連絡手帳などの項目があります。杉元氏曰く「私の望む暮らし方が一番大事にしましょうということで、関わっている方々と共通認識を持ったところ。例えば、どこで最期を暮らしたいかということもそう。最終決定ではなくても、この手帳を使うにあたって初心が記載されていると後々医療側も介護側もそれがまず根本になると思います。」このつながり手帳の目的は、介護保健法に基づき、医療や介護が必要な状態になっても、住み慣れた地域で安心して暮らし続けることができる様、医療と介護の関係者が連携し、切れ目のない支援体制の構築につなげることです。「最初は運用としては今現在入院されている方が退院した時に使うという形からのスタートになると思います。」この手帳の後ろには診察券、ケアマネージャーの名刺、お薬手帳、保険証等が入る工夫もされています。これ1冊あれば、その方について網羅できるようにしたいと考えていらっしゃいます。ここに至るまでには様々な方が関わり、何度も会議や打ち合わせがあり、その間の沢山のものが蓄積されて出来上がったもの。非常に色々な方の目が入っているので、それぞれの方の思い入れもたくさん詰まっています。つながり手帳はこの後4月から運用をスタートさせるそうです。「将来的な展望としては、こういうものがIT化できればより良いと思うのですが、まずはこの手帳があってよかったという事実が大事だと思うので、始めてみることだと思います。これは完成形ではないと思っているので、今後改良されて進化していけばよいと思います。」
ゆくゆくは、災害時の時にこれ1冊持って逃げると良いという感じになればよいですね。
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2017.0308 O.A あさの皮フ科クリニック春採分院 院長 伊藤康裕氏

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<part1> 
クリニックをオープンして3年目。函館出身の伊藤氏は、釧路市昭和南にある、あさの皮フ科クリニックの分院の院長をなさっています。浅野先生は伊藤氏が研修医の時の指導医だった方。東京の国立ガンセンター中央病院で浅野先生が研修を終え、戻られてからのことです。「僕の今の診療に大きな影響を与えた先生のひとりです」浅野先生のすごいところは、人を惹きつけるところ。マリモで釧路を盛り上げ隊の活動などではたくさんの方に影響を与えるなど、多くの人を巻き込む力はすごいと思うとおっしゃっていました。
小さい頃におばあ様が入院し、颯爽としている医師の姿を見て、単純に格好良いと思ったそうです。憧れみたいな感じとか。実は当初は内科を目指していらしたとか。学生時代、臨床実習という形で1~2週間で各科をまわりました。でも短期間ではその科のことはわかりません。悩んでいた時に皮膚科の実習がありました。たまたまその1週間の間に飲み会があり、そこでその当時准教授だった方に2時間アツい勧誘を受け、最後に皮膚科の説明会があるから来てくれないかと言われたのです。「説明会は行きます。でも僕は内科だと思いますけど」と。その説明会に行ったところ今度は教授から直々にアツいオファーをうけ、そこでも密度の濃いお話しをお聞きになり、皮膚科という選択肢がひとつ増えたそうです。そこから悩んで悩んで悩んだ末に皮膚科に決められたそうです。飲み会がなければ内科医になっていたかもしれませんとおっしゃっていました。
皮膚科は診断、手術、病理を全部自分でやる科。一から十まで全部自分がやるのです。自分で完結できる科、そこが魅力とも。本来は皮膚ガンが専門です。理想とするドクター像は「まさにうちのボス、浅野先生。常に追いつけ追い越せという気持ちで頑張ってきました。もう追い越したな?と思ってもよくよく見たら全然まだまだだなって思わせるような先生。一言ではなかなか言えません。でも凄いとしか言いようがないんです。」
<part2> 
皮膚科は季節によって患者さんの症状は違うそう。夏は汗をかくので、あせもや水虫などが多くなります。冬は乾燥すると、乾燥肌で痒いという患者さんが多いそう。乾燥肌はひたすら保湿剤を塗ること、それに尽きるそう。もともと皮膚にはバリアがあり、バリアがあるので、皮膚は外からのばい菌やウイルス等から遮断されます。中からは水分がぬけるのを防いでいるのです。乾燥するとそのバリアが破壊されて、外からばい菌が入りやすかったり、内からは水分が抜けやすくなったりするということ。皮膚のバリアを整えるのが重要で、その為に油分を補うということ。水分が足りないからといって水をかけても良くなりません。乾燥しやすい部位は膝から下の足の部分や、肘から先の腕の部分などもともと脂分が少ないところ。だから乾燥しやすいのです。油物を食べたら良いというものではなく、やはり外からの塗るのが一番良いそうです。特にお風呂上がりに塗るのが効果的。お風呂からあがってすぐ、まだ潤いがあるうちに塗った方が良い効果があるそうです。
趣味は読書と旅行。これはセットです。歴史物がお好き。本を読んで舞台となった場所を旅する。最近お読みになったものは「真田太平記」。大学病院にいる時は圧倒的に医学書を読まれていて、少しだけ趣味の小説などを読まれていたそう。そのうちだんだん小説の方の割合が多くなったとか。高校時代も日本史は得意だったそうです。先生が行かれて良いと思ったところを教えていただきました。ひとつは、安土城跡。信長の居城。城も何もありません。何もないのが逆に想像でき、その場所で佇み、信長の心境等を考えてみたりするそう。
もうひとつは、関ヶ原の合戦跡。そこも何もなく、石田三成の陣が小高い丘にあり、ここを見下ろして天下のことを考えていたのかな?と思いながら時間を過ごすそう。男のロマンでしょうか。医学とは別世界です。
ポリシーは、とにかくやれる事は全部やる。これはなんとかできそうだと思ったら、どんな状態でもドクターだからなんとかする!・・力強いお言葉でした。
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2017.0301 O.A 血液内科医 押味和夫氏

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現在、釧路労災病院で週2日、釧路中央病院で週1日、つるい養生邑病院で週1日診察をなさっています。出身は福島、東京大学を卒業後アメリカへ。お父様が開業医、親戚にも医師が多く、当然のようにこの道へ進まれました。ガンに興味があったそうです。叔父様が東北大学の病理にいらして、中学1年の頃、そこに遊びに行かれたそう。その抗酸菌病研究所に叔父様の同僚の教授、佐藤春郎氏がいらして、ちょうど実験中だったのです。お腹の膨らんだラットに針をさし、白いドロっとした液体を取り出し、顕微鏡で見せてくれたそうです。それは吉田肉腫というガン細胞だったのです。キラキラ白く光る細胞がいっぱいあり、よく見るとそれが動いていたそうです。その出来事が強烈で、ガンの研究をしようと心に決めたのです。血液内科の道に進まれるのですが、はじめは血液というよりガンをやりたいという気持ちが強かったのです。ガン内科は昔なかったので、近いものが血液だったので、選ばれたということ。臨床をやりたい!きちんと診断して治療できる医師になりたいと、日本を飛び出しアメリカで2年間、臨床で苦労して酷い目にあって帰ってこられたそう。英語はわからず、医学もできなく、もう二度と行かないと思い帰国、そこから研究したいと思われました。ちょうどその頃免疫学というものが出てきたそうです。どういう理由でガンになるのかというのが全くわからなかった頃、キラーT細胞、ガンをやつける細胞を作り、ガン細胞を殺せ!と日本でその研究をスタートします。その後NK細胞が発見された時、当時のボスから「こういう細胞があるよ」と教えていただき、その研究を始めました。NK細胞がどうやったらガンを殺す事ができるのかを研究なさったのです。NK細胞とは自然の殺し屋。ナチュラルキラー。身体の中でたえずNK細胞が見張っていて、ガン細胞が出てくると殺しているのではないか?或いはウイルス感染細胞などを殺しているのではないか?などと言われているそう。NK細胞が身体の中にたくさんあると、やはりガンになりにくいそう。
<part2> 
医師になられて46年。その間に色々なことが変化しました。進歩が早く勉強していないとすぐ置いていかれると。一番の例は慢性骨髄性白血病。助ける方法は骨髄移植でした。でも骨髄移植は合併症で亡くなる方も結構多いそう。確実な治療法はなかったのです。それが今、飲み薬で生きられる様になったのです。今でも完全ではないそうですが、改良され良い薬が出てきて、薬だけで・・という時代がきたのです。
凄い医師ってどんな方でしょう?との問いに「まずしつこく勉強して、私が言ったことは信じないで、とにかくきちんと勉強してしつこく患者さんを診て、粘り強くね。あとは患者さんの気持ちをよく聞いてあげる。言っていることを聞いてあげる医者ですね」気持ちはあっても、忙しくてなかなか現実にはできないそう。昔は1日のうちの1/3は患者さんを診て、1/3は研究して、1/3は自分の命を維持する時間だったそうです。大学病院にいても、現在は、1/3の臨床が増えて、研究の時間がなくなってくるとおっしゃっていました。それが一番の問題で、しわ寄せが研究にいくのだとか。日本の医学が今後がとても気になるそうです。
鶴居リンパ腫ワークショップという研究会を鶴居にいらした2012年から始めたそう。最初はテストケースで小さい規模で実施。これが好評で翌年から悪性リンパ腫の勉強会を正式にスタートします。これは講義をする側もされる側も全部手弁当。夏休みを利用して家族でいらっしゃる方が増えているそう。日本でも最高のレベルの方々が気軽にいらしてくれると。今年は8月3日に釧路市内で開催し、4日以降は鶴居で実施予定。3日は香港とソウルから面白い研究・治療している医師を呼び、彼らにお話しをしていただく予定とか。最先端のお話しが聞く事ができるそうです。すべて英語です。前座で先生の弟子とおっしゃる方がお二人、現在研究しているお話しをなさるそう。「誰に何を話してもらうのか考えるのが楽しみなの」と一番先生が楽しそう。その会のモットーが「よく遊び、よく学べ」。先生のポリシーも同じく「よく遊び、よく学べ」。
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2017.0222 O.A 市立釧路総合病院 麻酔科 西原教晃氏

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1月末に市立釧路総合病院でオープンホスピタルという企画が開催されました。高校2年生を対象に講義が行われ、その後実技という形で、手術室を解放し、ダヴィンチを操作してもらう、人形に対して気管挿管を体験してもらう等様々な事が行われました。当日、全行程が終わった後で参加した高校生10人に感想を伺いました。「手の通りに機械が動いて感動した」「お医者さんになっても難しい事があるんだと思った。あとは責任感というものが重要だと感じた」「本当に医者になったらミスすることができないと、きちんと技術を身につけていないといけないと感じた」「ダヴィンチの体験が一番心に残った。お医者さんてなんでもやらなければならないので楽しいだけではなく人の命を預かるのはすごい事だと思った」「ダヴィンチを体験してとても緊張した。その集中力を何時間も続ける現場の人はすごいと感じた」「自分も手術の経験はある。その手術にも多くの人の協力や苦労があったことを今日知ってとても驚いた」「自分が知らない仕事をたくさんしていて、大変な仕事だけどカッコ良いなと思った」「普段見ることのできない所を自分の目でみて、体験して、手術の時には麻酔科医がいたり、機械を調整する人がいたりと色々な人がいて一人の患者さんが治るという流れが見えた」「普段できない機械操作ができて良かった」「知らない事を沢山知る事ができたのはもちろん、自分の人生の中で体験できない様な事をさせてもらったのでとても勉強になった」その感想を受けて・・「やはりダヴィンチが印象深かったみたいですね。もう少し麻酔のことも印象に残ってほしかったな」と少々寂しそう。「責任感を感じたとか、チームで動くことが大事だと感じていただいたり、こちらの思った以上のものを感じ取ってくれたと思うと感動しました。やっぱり地元の子供たちに地元に残って働きたいと思ってもらえることが最終目的だと思う。その為にはこの仕事に就きたいという想いも大事ですが、その想いを抱かせる為になんとかしたいな、楽しいなって思ってもらいたいと思ったんですよね。医療に対する憧れを感じ取ってくれたみたいで、僕としては満足のいく企画でしたね」
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講義の中で、西原氏が語られた麻酔科医としての誇りについて伺いました。大事にしている部分です。麻酔科医の仕事は、他の科の先生と違い、バリバリ診断して治療をやってという感じではなく、どちらかというと縁の下の力持ち的存在。他の科の先生のサポートをする感じが比較的多いのです。「僕等が何を大事にして何を守るかというと、患者さんの命を守るのは当たり前。色々なお薬を使って体を守るのも当たり前。でも一番は患者さんの苦痛、辛いことをなるべく取り除いてあげて、楽なように手術を受けてもらったり、重症な病気の治療をしてもらったりを心がけているんです。それが麻酔科医として求められていることなのかな・・・。患者さんの命と体だけではなく心もしっかり守れるような麻酔科医になりたいのです。」
麻酔科の仕事は他にも沢山あります。手術の麻酔はもちろん、救急系、ドクターヘリもそう。ヘリに乗って現場に行って患者さんを診療する。連れてくるという事も麻酔科医が乗っている場合が多いそう。ヘリだけではなく、救急車でくる重症患者さん、一番重症な患者さんを診るのが市立釧路総合病院では麻酔科なのです。それに加えて集中治療室ICUでの患者さんの細かい管理もそうです。医師になって6年目。やるべきことは見えてきたそう。患者さんの辛いことを取り除いて、心を守ることを大前提として、重症患者さんが自分の目の前で命を落とすことがないように、その管理についてもさらに勉強してしっかりできるようになりたいとおっしゃっていました。麻酔科は他科との連携がとても必要。サポートメインなので、うまくチームプレイでひとりの患者さんを救うのがスタイル。色々な科の架け橋になったり、コーディネーター的な役割が求められる資質だったり役割だったりすると思うとも。地味だけどなくてはならない存在。潤滑油みたいですね。「色々な科、職種をつなげて患者さんがハッピーになれば良いんです。」
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2017.0215 O.A 市立釧路総合病院 泌尿器科 森田研氏

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釧路は4度目。初めて赴任なさったのが1991年。その後1994年、2008年、そして2016年に。通算すると6年ほどいらっしゃっています。上富良野小学校にいた頃、当時お世話になった病院の先生に憧れたのがこの道に進むきっかけになりました。いつもそこにいて、どんな時でも診てくれて、最期は病院で仕事中に亡くなった・・そんな先生だったそうです。素晴らしい仕事だなと思ったそうです。
泌尿器科を選ばれたのは、手術とか診断、治療を自分の科でできるということと、色々な患者さんを診ることができるということ。子供から大人まで診察できる。小児科だと大人は診れない。産婦人科だと男性は診れない。幅広く様々なことに触れることができるので泌尿器科が良いと思ったそうです。
腎臓、移植、腹腔鏡手術などの内視鏡手術が専門分野。内視鏡手術は1990年位から始まったそうですが、それを最初に教えてくださったのが、森田氏が最初に釧路にいらした時の上司。腹腔鏡手術、当時は北海道でも何箇所しかやっていなかったそうですが、それを市立釧路総合病院でやっていたそう。釧路で教えてもらったので、いつか恩返しをしたいなと考えていて何回もいらしているそうです。医師になられて29年。その間の進化、変化もたくさんありました。泌尿器科は手術を頑張って5年位で上手くなっても、また手術がかわるそうです。腹腔鏡が入ってそれまで開腹手術だったのが内視鏡になったり、尿管結石や腎臓結石で手術をすることがなくなったり。前立腺に関しても最初の頃は手術していなかったのが、手術するようになり、それも腹腔鏡になり、今はロボット、ダヴィンチになったり。とにかくどんどん変わるそう。そこが魅力の一つでもあると。「理想の医師とは、何でも患者さんの為に動いてくれる医師がたぶん患者さんにとっては良いと思うのですが、場合によっては嫌な事でもちゃんと正しいという判断でやる、決断力がある医師が良いと思います。」
<part2> 
ダヴィンチ手術は腹腔鏡手術と同じく、お腹に小さな穴を開けて行う腹腔鏡下でのロボット支援手術のこと。ダヴィンチは手術をする医師を支援する機械です。実際は、手術台から離れたところにあるコンソールボックスの中で、医師がモニターの映像を見ながら、両手と両足を使い、遠隔操作で手術をします。モニターの映像は高解像度3D画像です。「簡単にいうと手術用のロボットだけれど、我々がやっている手術をやりやすくする方に働くもの。ラジコンの操作しているところとラジコンの車のところと言ったらいいのかな?」そのダヴィンチを公開する場が1月末にありました。対象が高校生。オープンホスピタルというプロジェクトです。普段知られていないことを皆さんに知っていただくというのも目的のひとつ。今回は第1回目。その目的はダヴィンチの情報公開。そして、病院で働きたい若い人たちに是非地元で働いていただきたいということもあり、今回は高校生が対象でした。医師、看護師はもちろんですが、ダヴィンチは専門の技師がいないと動きません。実はダヴィンチはインターネットで常時アメリカの本社につながっているそうです。電話するとどこがエラーだということを教えてくれるのです。そういうバックアップがないとできないそう。ダヴィンチは現在、前立腺癌と腎臓癌の一部が保険適応になっています。「今回はかなり目的を持ってきている生徒さんが多く、ダヴィンチの操作はもちろん、人命を助けるための麻酔の方法、気道確保の方法も体験したりして、人を助けることの大変さを感想として話している人がいて驚きました。他にも血管を結ぶ方法や麻酔科の台に寝てみたり、リアルな感覚を体験していただき、いかに実際の現場を見ていただくことが大切なのかという事を知り、我々としても勉強になりました」。実はこの後見学者が増えたそう。実際の手術の時に他の科の医師や看護師が見学にいらしているとか。皆さんのモチペーションアップにもつながった様です。
ポリシーはとにかく目の前の患者さんをしあわせにするにはどうしたら良いのかを真剣に考えること。
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2017.0208 O.A 杉元内科医院 院長 杉元重治氏

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CCLの活動の一環で今年の1月に地域フォーラムが開催されました。今までは大きな会場で市民の方をお呼びしてフォーラムを行ってきたのですが、今年の目標として地域にCCLが出ていき地域で一般の市民の方との交流をしようということでの開催。場所は杉元内科医院のアネックスホールみそのでした。120人位の方がいらっしゃったそうで、関心の高さがうかがえます。もちろん医療介護の方たちもいらしたそうですが、圧倒的に一般の方が多かったそうです。先生もびっくりされ、本当にやって良かったとおっしゃっていました。「気づき」早期発見が大事という事についてお話しいただきました。ずっとどこにも相談されず、大暴れしたり、徘徊したりという風になってから見つかるケースが多く、もっと早く医療者や専門職種の人達が関わることができれば、違った経緯だったのでは?と思われることが多々あったそうです。だから早期発見というのが大事と。早期からケアすることにより、認知機能の低下を遅らせたりもできるそう。本人・家族の方もハッピーな時間をもう少し過ごすことができるのでは?と思うと。参加者の中からは「どういうものを食べたら良いの」「どういうことに気をつければ良いの」と質問があったそうです。DHA&EPAなどが含まれるサバなどは良いそうです。さらに、日々の生活を規則正しくして、一言日記的な日記をつけることも良いそうです。自分の思ったことを文字に書いて残すという行為が良いそう。認知症状が低下していくことはこれは仕方のないこと。早めから薬を飲んでおくと下がり幅がすこし遅くなるのです。実際に先生の病院に通っている患者さんで、物忘れがひどくなり、表情も暗くなってきたという事で、家族の方から相談されました。調べた後で薬を飲んでいただいたそう。すると、表情も明るくなり、シャキッとされたという方も何人かいらっしゃるそう。早期に拾い上げる事によって薬を有効に使うことができるのです。また、薬も大事だけれど人との会話が一番大事とおっしゃっていました。
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最近、高齢者の交通事故が問題になっています。実は3月から道路交通法が改訂され、更新時に75歳以上の方に認知機能の低下があるかないかというテストをするという事が決まっているのです。会場にいらした方からもそんな質問があったそう。今後もしかすると、かかりつけ医の先生のところに免許の更新時に相談するという事もでてくるのかもしれません。これからは運転というのをきっかけに認知症が見つかるケースもあるのかなとおっしゃっていました。2025年には65歳以上の方が3600万人を超え、認知症の高齢者数も700万人に達するというデータもあります。薬という分野でいえば、認知症を根本的に起こさないようにする薬の開発やワクチン等の研究が進んでいるそうです。ただそれが世に出てくるまでにはまだ時間がかかると思われます。その時に薬の適用になる方がどれ位になるのかもわかりません。可能性としてはあるとのこと。どういう方に投与したら良いのかは難しいところです。認知機能がどこレベルなのか?何歳以上なのか?若年性の方にはどうするのか?等など・・・まったく予測がつかないのです。夢の様な話にも聞こえますが、手放しで喜ぶというわけにはいかない感じがします。もし認知機能が仮に温存されたとしても身体機能の低下は歯止めがかけられません。頭がすごく冴えて体の衰えが手に取るようにわかるとなった場合、どうなってしまうのでしょう?やはり、体と頭のバランスが大事だと思うと。その時その場で一生懸命毎日を生きていくしかないのかもしれません。現在は寿命という言い方が健康寿命という言い方に変わってきています。日本は寿命をのばすために今まで頑張ってきました。そして世界でも長寿国になりました。でも、その中で置き去りにされていた部分もあるのです。寝たきりで意思疎通もできない状態でいる場合、果たして生きているという状況なのかという事を今現代の我々が問われていると思うとおっしゃっていました。
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2017.0201 O.A ふたば診療所 院長 谷藤公紀氏2

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「諦めないで」という典型的な方のお話しを伺いました。
その方は3年前にある施設にいらっしゃいました。そこで寝たきりで食事もできなくて、胃瘻もして、ずっと天井を見ていたのです。娘さんが施設に通いリハビリを手伝い、頑張っていました。でも全然反応がありませんでした。谷藤先生が書かれた「人生を諦めないでほしい」というメッセージを目にした彼女から問い合わせがあったそうです。「お母さんを諦めたくない。もう一度家に帰ってもらいたい。お母さんらしく笑ってほしい」と。実際にお会いしたところ、全然表情がなく、身体もなされるがまま。そこで、ふわりに入ってもらったそうです。外の先生に検査をお願いして調べてみると、主に廃用障害、使わないから、やらないから出来なくなってしまう、それを繰り返しここまで来たという感じかなと思われました。でもまだ身体もかたくなっていないし、舌も動かすことができるし、取り組んでみようと、胃瘻で栄養をつけながら、リハビリをどんどんやっていったのです。看護師がリハビリをやる。外から訪問のリハビリの専門の人に来てもらう。途中からはデイサービスに通う。デイケアにも通う。それが1年少し続きました。結論としては、車椅子に座ることができて、音楽を聴いて笑ったり、テレビを見て涙ぐんだりできる様になったのです。そしてお家に帰って娘さんと二人暮らしを始めたそうです。「先生、諦めないで良かった。あの時諦めていたら今施設で天井を見てただ動かないでいるどころか、もしかしたら生きていないかもしれない」と言われたそうです。色々なことをした結果、2年でお家に帰ることができ、現在はさらに元気になっているそうです。先生ご自身も諦めないという気持ちがこの様な結果を生んだのだと思うとおっしゃっていました。
<part2> 
先生が諦めなかったことは、その方の可能性。でも可能性がゼロだと思う時もあるそうです。それは受け入れてもらえない時。なんとかしてあげたくて、スタッフも色々な関わり方をするけれど、受け入れてもらえない。実は、その方は昔の元気だった時の自分から離れられないのです。今の自分を許せなくて昔の自分から離れられない方は沢山いらっしゃるそうです。「今の自分を認めたくないわけじゃない」と口ではおっしゃるのそうですが、実際は違うのでは?と思うそうです。
お宅に訪問すると「家で死にたい」とおっしゃる方もいらして、嘘をついて病院から出てきたという方もいらっしゃるそう。病院から出て、施設に行く前に一泊だけの約束で家に帰り、そのまま家にい続ける方は毎年いらっしゃるそうです。あくまでも病院は入院して治療をしなければならない時にいる所。病院を上手に使わなければならないと。病院の係り方も人様々。極端な話、くしゃみをしたからと病院にかかる方や、逆に最後の最後まで我慢してやっと病院にかかる方がいらっしゃるとか。大事なことの一つに、信用できて、ある程度の知識のある相談相手をもつこと。家で暮らす上でとても大事なことだと思うとおっしゃっていました。
お家で亡くなる方も多く、去年1年間で80人近くの方の最期に立ち会ったそう。その内20人の方は自宅。やはりご家族が一人でもいないと難しいですねと谷藤氏。現在、看取りレスキューという事をなさっています。病院にいたけれど最期は家で過ごしたいという方を家にお連れして家で家族のいる所でお看取りをする。病院以外でも施設から出て最期は家でという方もいらっしゃるのです。そういう方のお手伝いをなさっています。
「迷惑をかけたくないとか、自分達で頑張らなくてはと頑張って暮らしている高齢のご夫婦や一人暮らしの方が結構いらっしゃろ、そういう方にどうやって僕たちが繋がることができるのか、まったく何も知らないんですよね。これからは、色々な方から知恵を借りて何かしたいなと思っています」
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2017.0125 O.A ふたば診療所 院長 谷藤公紀氏1

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最初に掲げた在宅医療と緩和ケアというところでは変わっていないそうです。でも、仕事を続ける中で自分が変わり、自分の足りなさ・至らなさを思い知り、また、一人でできない事を仲間と一緒にやり、その仲間も成長して、一緒にできる事も変わってきているとおっしゃっていました。医療法人社団 支心の仲間と一緒にふわりという建物や、事業所を通じて、色々な事でハンディを負ってしまった人、今まで通り暮らせなくなった人も諦めないで顔を上げて上を向いて最期まで生きましょう。というお手伝いをなさっています。
ある99歳の方は「俺が死んだら葬儀は良いから、これをお世話になった方に配ってほしい」とご自身で自費出版なさった写真集をお持ちなったそうです。歩けるうちは自分で頑張っていらしたそうですが、最期の始末として手伝ってほしいと頼まれたそうです。自分の体調をコントロールしながら、これから残りをどう生きるかを前向きに考えていらっしゃるのです。でも、病院や施設から相談がありいらっしゃる方は、家に帰りたいけれど施設に入らなければならないという方や施設に入りたいけれど家に帰るしかないという方が多いそう。「やはり自分の可能性を諦めてしまうんでしょうね。昨日まで掃除や炊事もしていたのに急に寝たきりになりもうどうでも良いという方や、一人で家に置いておけないので施設に入れるしかないという方など、望んでここにいらしたという方は多くはないのです。」この活動をなさって23年ほど。ふたば診療所を開設してからは8年。最初と変わらないのは、家で自分らしく頑張りたいという方を応援しようという事。最初はその方が望む事をなんとかしようと思っていたそうです。でもその方が望む事が本当にその人が思っている事ではないこともあると知りました。「ダメな理由、出来ない理由を並べずに諦めない。諦めないで何かできる方法がないかと考える様になったのがこの5年位の大きな変化ですかね。夢がないと生きていけないし、目標が達成された時の喜びって大きい。課題は抽出するけれど何かできる方法を考えようとするようになりましたね」
<part2> 
以前、東京の雑誌社の方が取材にいらした時に「釧路はレベルが低い。こんな事業者ばかりだったら東京だったら通用しないよ。競争の中で選ばれない。もっと良いサービス、本当にこの人に任せてよかったと思える様な医師やケアマネージャー、看護師、ヘルパーがもっと本人の希望に寄り添ってくれる人達が沢山いる。そういうところが釧路はまだ遅れている」と言われたそうです。本人がこうしたいと言ったら、これが本人のニーズだと言う。もしかしたらそれは本当かもしれない。でももしかしたら大間違いかもしれない。そこに近づかなければならないのに、そこに近づかない。だから今仕事で一番大事にしている事は、話してもらえるようになる事とおっしゃっていました。こちらから聞き出すのではなく、共有できる話題を探しながら向こうから話してもらえる様になることが一番大事。「幸いな事に男性は特に末広の事はよく覚えているんですよ。僕、末広育ちなので末広の話題は同じ世代以上に知っている。それが役立つんです。皆さんから毎日教わっていますよ。その方の中に長い人生の蓄積があり、色々な事を教えてもらうので、自分が成長できます」
在宅医療の世界にも大先輩が沢山いらっしゃり、先輩達がやってきた事がやっとわかる様になったと感じるそうです。「家に行って治療するのが在宅医療ではないと最初からわかっている風に言ってきましたけれど、でも実はわかっていなかった。医療という事ではないのです。医療がどういう時に必要かというと、痛いにしても苦しいにしても今まで通り暮らせなくなった時。病院に行き、今まで通り暮らせる様に戻してもらうという事。治す医療。とにかく最低限命は救う。先輩達がやってきた、そして今僕もやろうとしている在宅医療は、今まで通りではなくなったけれど、これからどうする?なんとかなるんじゃない?諦めないで前向いて生きていきませんかというところに一緒に寄り添って、その方の人生に少しだけ参加させてもらう。そして、それを自分の糧にしていただいたものをまた次の方に手渡す、そんな仕事なのかなって感じます。」
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2017.0118 O.A 釧路孝仁会記念病院 脳神経外科 折居麻綾氏

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<part1> 
1月3日に病院の6階の宿泊ルームにお邪魔しました。
ほぼ毎年、年末からか、もしくは年始から釧路で勤務なさっているそうです。釧路以外でもお正月は病院で・・という生活をずっと送っていらっしゃるとか。医師になってから病院以外でお正月を過ごされたのは1回もしくは2回位とのこと。今年のお正月は比較的穏やかな当直だったそうです。元日もそんなに荒れることなく、穏やかに終えたそうです。お天気も穏やかであまり風もなかったのですが、多分それも関係あるのでは?とのこと。天気は身体に大きく影響を与えるそうで、それは先生自身も感じるそうです。頭痛の患者さんが続く日とか、めまいの患者さんが続く日等があるそうです。
寒い時期の脳神経外科に関することをお聞きしました。この時期はやはり脳卒中、血圧が高くなって脳出血を起こしたりする方、くも膜下出血などの方が増えるそうです。基本的には寒くなると血圧が上がる傾向にあるので、朝起きてすぐと夜寝る前と1日2回血圧を測って手帳に記入することをお勧めしますとのこと。安静時の血圧がどれ位かということを自分で把握しておくということがとても大事だとおっしゃっていました。年とともに血圧は高くなる人が多いので、50代を超えたらまずやった方が良いそうです。40代の方でも時々健康診断などで測った値が高いなど指摘されたことのある方は放っておかずに血圧測定をした方が良いそうです。自分がどれ位か知っておいた上で暮らす事が良いということ。バランスの良い食事と適度な運動はやはり必要です。健康を維持するためにはコツコツと積み重ねていかないといけないんだろうなと思う・・・と。特に、心疾患・脳血管障害などといったものは食事と関連したり、タバコお酒などの嗜好品と関係したり、運動をしている・していないで関係したりと、生活習慣が病気につながるというのはよく言われていることなのです。
<part2> 
去年はマスコミへの登場率がとても高かった折居氏。前半は本の出版や、ネット販売の開始、展示会での受注販売ができたことが大きな成果だったとおっしゃっていました。初めて本を書くってどんな感じだったのでしょう?「正直にいうと、私の人生を本にして何の意味があるのという気持ちが強く、本を出さなくても良いんじゃないという気分だったんです。それでも何かの為になる事があるから、先生の今まで過ごしてきた経緯を踏まえて、ネガティブな思考をもっていても前に進んで生きて行けるという事を、書いてもらえると有難いと言われたので、改めて考えながら書いたという感じなんです。」過去のことはさておき、私が選択する時に面白いか面白くないかで人生の選択をするようにしているという事を改めて再認識できたとおっしゃっていました。サイン会や講演会も開催でき、沢山の方がいらっしゃったそうです。そこで、みんなが色々な見え方とか捉え方について一緒になって考え、なかなか経験できない事を経験できて良かったとも。
毎年必ず1年の目標を立てて過ごすようにしていらっしゃるそうです。そして、この3年位はほぼ達成しているそう。少しずつステップアップしているのです。今年は新しい取り組みとしては、普通の洋服以外、例えば白衣や当直着などにも取り組み、春までにそれをやりたいと思っているそうです。目標ではないのですが、たまたま出てきた話しで、東京でお店を始める可能性もあるとか・・・?!たとえお店の話しが消えたとしても他の販売方法について考え、場合によっては日本だけではなく海外でも販売ということを視野に入れて取り組めたら・・・とおっしゃっていました。「今年中に海外で販売!とまで進める事が出来るかわかりませんが、何らかの形で海外でいつか販売する為の道筋が出来るとその次に繋がるし、そういった活動も視野に入れてやっていければ良いなと思っています。」医師、デザイナー、他にも様々な顔を持っているDr.まあやの病院の宿泊ルームには、すぐにでも使う事が出来る様にミシンが鎮座ましましていました。
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